其の八十四 単なる生活の手段として、息子にやらせようとしたことの間違いかも

ある者が息子を法師にしようとしたところ、息子は乗馬や早歌にばかり励んでしまい、結局息子は僧侶になれないまま年老いてしまったという話ですが、本当のところ息子は僧侶になりたくはなかったのではないかと述べました。それと共に、単なる生活の手段として、息子に法師をやらせようとしたのも間違いだったのではないかと思います。

《徒然草:第百八十八段》其の壱
「この法師だけでなく、世間の人には一般にこうしたことがあるものだ。若い内はいろいろな方面で身を立て、大きな道を成し遂げ、芸能を身に付け、学問もしようとする。そうして遠い将来に亘って計画している事々に心を掛けていながらも、一生をのんびり構えてすっかり怠ってしまう。

まず差し当たって目の前の事にのみ気を取られて月日を送れば、どの事も成せないまま身は老いていく。とうとうその道の達人にはなれず、思い描いていたように身を立てられず、後悔しても取り戻せる年齢ではないから、走って坂を下る車輪のように衰えてゆくばかりとなるのである。」

※原文のキーワード
一般に…「なべて」、いろいろな方面…「諸事」、遠い将来に亘って…「行末久しく」、計画している事々…「あらます事ども」、一生を…「世を」、のんびり構えて…「のどかに思ひて」、すっかり怠ってしまう…「うち怠り」、気を取られて…「まぎれて」、どの事も…「事事」、とうとう…「つひに」、その道の達人…「ものの上手」、思い描いていたように…「思ひしやうに」、身を立てられず…「身をも持たず」、取り戻せる…「取り返さるる」

この法師の話は例え話でした。読み手に「あるある、そういう事ってあるよね」と思わせながら、兼好法師は本題へ向かって筆を進めます。

この法師だけでなく、世間一般に同様のことが起こります。特に若い内の在り方が重要で、「いろいろな方面で身を立て、大きな道を成し遂げ、芸能を身に付け、学問もしようとする」のは良いことですが、まだこの先の人生が十分あると思っていると油断が生じます。折角「遠い将来に亘って計画している事々」があるにも関わらず、つい気の緩みが重なり、とうとう「一生をのんびり構えてすっかり怠ってしまう」ことにもなるわけです。(続く)