「吉田と申す馬乗りの」とありますが、この吉田がどんな人物かは不明です。
「吉田兼好」とも関係ありません。そもそも兼好法師の正しい姓名は卜部兼好(うらべかねよし)であり、吉田姓は捏造として、後から付けられてしまったものであることは先述の通りです。
連載
其の七十九 事前の丁寧な点検や、用意周到な準備も、達人や名人が教える極意
達人や名人が語る「極意」などと聞くと、きっと一般の素人には及びも付かないような秘訣があり、それは神懸かっているに違いないと思われがちです。ところが、大抵は「毎日の修練を怠るな」、「工夫しつつ継続せよ」といった類の“普通の教え”であることが多いものです。
其の七十八 一人の独裁者が誕生し、取り巻きがイエスマンばかりになることに要注意!
さて、時頼の母・松下禅尼が、煤けた障子の破れを自ら小刀を使って修理されましたところ、その日の世話役としてお仕えしていた禅尼の兄・秋田城介義景が、代わりに誰か器用な者に張らせましょうと申し上げました。
其の七十七 いざ鎌倉!に対して、いち早く馳せ参ずる覚悟
出家して最明寺入道と名乗った時頼には、みすぼらしい旅の僧に変装して諸国を行脚したという伝説があります。大雪の中、上野国(こうずけのくに)の佐野を訪れまして、御家人の佐野源左衛門尉常世(さのげんざえもんのじょうつねよ)の家に泊まります。
其の七十六 名執権の心得は、母親の教えにあり!
名執権として知られる北条時頼には、その母親の賢明さを称える逸話があります。武家政権らしく質実倹約に努め、驕奢な生活を戒める心得が、母親の教えにあったとのこと。
貧しさは人を卑屈にし、贅沢なだけの豊かさは人を堕落させます。政治は国民を卑屈に陥らせても、堕落に導いてもいけませんが、まず上に立つ指導者から己を戒めなければなりません。
其の七十五 王者の徳で国内を治め、国外を感化する王道政治に帰って欲しい…
「手近なところを正しくすればいい」という心得は、「世を保つ方法」においても同じです。もしも「国内政治に慎重さが欠け、軽はずみで、勝手気まま」な状態に放置しますと、国内の「秩序が乱れ」、「遠国が必ず背(そむ)くこと」になります。
其の七十四 不遇を一気に精算するための、一発逆転狙いは却って危ない?!
兼好法師は「何事も、外に向かって求めてばかりいてはいけない。ひたすら手近なところを正しくすればいい」と教えました。常に、手元や身近なところを大切にせよという教訓なのですが、なかなかこれが難しく、努力しているにも関わらず思うように成果が出て来ないと、だんだん外に目が向いていきます。
其の七十三 改革を急ぎ過ぎると、手元がよく見えなくなる…
手元や身近なところを大切にせよという教訓の続きです。それらは、空間的に近いところであると同時に、時間的にも近いところであるということを、大和言葉の世界観によって述べました。
さて、宋代の名臣に、仁宗・英宗・神宗の三代に仕えた清献公(諡は趙抃、1008~1084)という人物がおりました。清献公は、急進的な改革を目指す王安石(1021~1086)とは意見が合いませんでした。
其の七十二 楽天的にイマを充実させて生きていくのが一番!
手元や身近なところというのは、空間的に近いところであると同時に、時間的にも近いところを意味します。時空は元来一如であり、大和言葉ではそれをマの一音で表してきました。「間取り」や「間合い」なら空間、「間が無い」や「束の間」なら時間というように、マ音は時空が連続体であることを示しています。
アインシュタインが主張した通り時空が連続体であるとすれば、時空の本質・本体とは一体何でしょうか。それは変化・活動そのものにあると考えられます。
其の七十一 目標と手元の、遠近両者を繋ぐところに命中の基本がある!
これら手元や身近なところをよく見よという教えは、目標やゴールが定まっていることを前提とした心得です。ボーリングなら全てのピンを倒すことが、貝合わせならひと組でも多くの貝を取ることが、節分の菓子まきなら沢山の菓子を獲得することが、選挙戦なら当選することが、あらかじめ定められている目標です。それぞれゴールが決まっているからこそ、近くをよく見ることで高い成果を上げられるのです。