あれこれ摘(つま)み食いのように手掛けては、子供の玩具(おもちゃ)遊びのように目移りする。すぐ飽きるから、結局どれも身に付かないで終わってしまう。こんな状態では、一つもものになりません。
そこで兼好法師は、まず「一生の内で、これが人生の主(しゅ)であると望んでいる事」を挙げ、その中で「どれが一番勝っているかについて」しっかり比べるよう促します。そうして、これが「第一の事」だと定められたなら、「その他は思いから捨てて、その一事に励むべきである」と諭しました。
寿命がある以上、人生には限りがあります。時間は何よりも貴重ですから、人生の最高目的に基づいた、最優先となる事柄に集中すべきことはいうまでもありません。
人生の「主」となる「第一の事」とは、まさに天からいただいた我が使命、即ち天命に他なりません。天命であれば、これをやるために生まれてきたのだから、人生を賭けて惜しくないと思えるはずです。
しかし、「一日の内、一時の内にも、雑多な事が起きてしまう」のが日常です。仕事や社会活動においても普段の生活においても、次々と為さねばならない庶務・実務が舞い込んで来ます。
そういう中に生きているからこそ、「少しでも利益(りやく)になる事を行って、その外(ほか)の事はきっぱり捨てて、大事なことを急ぐべきである」と、兼好法師は断言しました。当時における「利益になる事」とは、出家して仏道修行に励むことでしたが、我々はこれを天命成就にプラスになる事と受け止めて構わないでしょう。
兎に角、「どれもこれも捨てられないと心に執着していては、一つの事さえも成就出来るはずが」ありません。まず、天命と言える第一の事を定めるところから始める必要があるわけです。(続く)