さて、何事も綜合的でなければ気が済まず、「どれもこれも捨てられない」タイプである筆者は、結局「一つの事さえも成就出来」ないで終わってしまうのでしょうか。そうであれば、筆者は兼好法師からお叱りを受けるしかないタイプの人間となります。
筆者は講演業を生業に、主に三つの分野について話してきました。第一は文明法則史学。世界文明の800年周期論と東西文明の交代について、マクロの文明論である法則史学によって解説しています。第二は大和言葉。日本思想の根幹を、原日本語というべき大和言葉を紐解(ひもと)くことで詳述しています。第三は東洋思想。東洋人・日本人の生き方について、儒家・道家・法家・兵家・墨家などの中国思想や武士道哲学をもとに講義しています。
30代の頃、昨日は文明論、今日は大和言葉、明日は東洋思想などという具合に、これら三種を小刻みに話している自分は、バラバラな内容を場当たりに講義しているだけの人間ではないかと悩むことがありました。そう感じるのは、文明論と大和言葉と東洋思想は、分野の異なる別個の学習テーマだからです。また、しょっちゅう受講生に対して「一点突破の集中力が大事だ!」と言っている自分がバラバラでは、「言う事」と「やる事」が一致しないではないかと煩悶(はんもん)したのです。
そうこうしながら40歳になった頃、この三種は知・情・意でまとまりそうだという閃きが起こりました。文明論は世界と日本の流れを知るための「知」の学問、大和言葉は日本人としての感性を養うための「情」の学問、東洋思想(武士道含む)は生き方・死に方を教えてくれる「意」の学問というように繋がってきたのです。
この知・情・意にまとめるきっかけは、幕末志士論講義の準備にありました。なぜ幕末に志士英傑が育ったのかについて話そうと思い、その理由として彼らが受けた教育を調べたところ知・情・意に集約されたのです。
志士たちは、知の学問として蘭学・洋学を学んで世界に目を向け、情の学問として神道・国学を学んで日本人としての情念を養い、意の学問として朱子学・陽明学や武士道を学んで志士サムライとしての生き様・死に様を腹に据えていました。
何事も原因があって結果が生じます。幕末に、知・情・意による学びを因として、志士が育つという果が生まれていたならば、同じように現代に志士を育てるためには、その原因となる知・情・意の学問を興せばいいと考えたわけです。
そこで、知が文明論、情が大和言葉、意が東洋思想や武士道というようにまとまっていき、この三種をひと束(たば)にして統合することで「綜學(綜合学問)」が成立したのです。
筆者は、このようなまとめ方を「一束統合」と呼んでいます。いくつかの事柄に取り組んでおり、そのどれもが必須の事ばかりで外せない場合に一点集中させるための手法です。3つであれば、3つの事柄を「一つの事」にまとめてしまうやり方です。では、この一束統合を実施する際の注意事項を述べておきましょう。(続く)