京都の東山というのは、どれか一つの山というわけではなく、京都の東方の山一帯を指しており、特に祇園より南の地をいうとのことです。寺社でいうと、知恩院、八坂神社、建仁寺、高台寺、清水寺、智積院、蓮華王院、豊国神社、東福寺、泉涌寺のあたりになるかと思います。筆者の活動母体である綜學社の研修所(といっても小さな町家です)が東山五条にあるため、これら一帯はよく散策しております。
一方、京都の西山はどうかというと、洛西、長岡京市、向日市、大山崎町にまたがる広い地域にあたるのだそうです。西山三山と呼ばれるお寺もあり、京都の西方の山一帯を西山と呼んでいるようです。兼好法師は、東山とは反対の遠い地という意味で、この西山という地名を『徒然草』第百八十八段で使っています。
これら京都の東山と西山は、距離的にかなり離れています。昔であれば、東山で用事を済ませてから西山に向かうというのは、とても難儀なことだったと推測します。それにも関わらず兼好法師は、東山に着いた直後に西山に行くほうが利益になると気付いたら、迷わないで直ちに西山に向かえと教えています。
《徒然草:第百八十八段》其の四
「京に住む人が東山に急ぎの用事があり、既に(目的地に)行き着いたとしても、西山に行くほうが利益に勝ると思い得たならば、(到着した東山の家の)門口より引き返して西山へ行くべきである。
ここまで来着(らいちゃく)したのだから、(出向いた)用事をまず言っておこう。特に日を定めては無い事だし、西山の事は帰ってからまた思い立つようにしようなどと思うがゆえに、一時の懈怠(けたい、気の緩み)が一生の懈怠となるのだ。これを恐れねばならない。」
※原文のキーワード
定めぬ…「ささぬ」(続く)