二つの道の、どちらかを選ぶ。そうしないと、両方とも失ってしまう。そういう究極の選択が筆者にもありました。
松下政経塾を28歳で卒塾した私は、生計を立てるため、鍼灸指圧師の資格を生かして治療院を開業。業界誌から2回取材を受けるほど実績を上げていましたが、30代前半から次第に講義・講演が増えてきて臨時休診が多くなり、もうこれ以上二股は続けられないと考え、思い切って治療院を後輩の鍼灸師に任せて隠退しました。それは30代半ば頃のことで、そのとき屋号から患者、残っていた消毒用エタノールに至るまで全部後輩に譲りました。
理由は、それだけではありません。30数歳頃、神戸である経営者対象のセミナーの講師を務め、文明論による世界情勢について講義しました。それまでも各地で講演・講義をすれば、参加者の中に必ず経営者がいました。だから経営者相手の講義は大丈夫と思っていたところ、その日は言葉が全然参加者に通っていきません。力むほど空回りするばかりで、散々な状態でした。
なぜなのかと反省してみたところ、自分が一つの道に生き方を定めていないことが原因であることに気付きました。参加者の皆さんは、それぞれ事業経営に人生を賭けています。ところが私は、鍼灸師が生業ですから、講演・講義は副業に過ぎなかったのです。即ち、本氣で仕事をしている人たちを相手に、素人講師が片手間で話していたわけですから、そもそも通用するはずが無かったのです。このことも、治療院をやめて講演業一本に切り替えた理由でした。
その後、40代後半にも一得一捨となる選択がありました。それは、政治家(議員)になるか、政治家の指南役なるかという二者択一です。
筆者は30代半ばから40代後半にかけて、文明法則史学、大和言葉の日本学、東洋思想などについて探究しました。その傍ら、松下政経塾出身者らしく選挙に出るための準備(地盤づくりなど)をやっていたかというと実はそれを殆どしていませんでした。
選挙に出て議員になるための活動を全然していなかったのは、もはや政治家を目指そうという気持ちが私の心中に無かったからです。従って、とっくに政治家への道は諦めていたわけです。
でも、その一方で世界への危機感や日本を変えたいという念願は年々募ります。それで、政治家の指南役になるための活動を起こすことに志を定め、48歳のときに林塾「政治家天命講座」を開講しました。こうして、指南役を得、政治家は捨てるという一得一捨が成立したのです。
政治家天命講座は令和4年で17期目を迎え、これまでにおよそ350名が学び、約100名が塾士(林塾出身の志士政治家)となりました。また、9名の国会議員(元職を含む)、10数名の首長、約250名の地方議員が育っております。もしも私自身が議員になっていたら、自分自身の議員活動が忙しく、思想基盤をしっかり修めた志士政治家を育てることは難しかったでしょう。
そもそも生きるとは、決断の積み重ね(連続)とも言えます。とりわけ転換期(乱世)の指導者には、高度な決断力が求められます。その際、全体學である綜學の観法をご参考にしてください。
綜學観法は、「全体を観る」「核心を掴む」「流れを読む」の3つで成り立ちます。決断にあたって、まず全体を眺め、時空における現在位置確認します。次に向かうべき方向を定めつつ、決断する上で重要となる核心を掴みます。核心の中に、乗り越えなければならない問題や、思い切って捨てねばならない既得権益やしがらみ、不要なプライドや拘(こだわ)りなどが含まれます。そして、世界の変化・日本の盛衰・自分の運氣などを流れとして読み取ります。そうすれば、きっと思い切った決断が下せるようになるでしょう。(続く)