沖導師による「奥義」の解説の続きです。この奥義の話こそ、本連載において、沖導師の教えを通して皆さんに伝えたかった核心です。
連載
其の五十一 仕事であれ何事であれ、究めた者だけが到達する境地がある…
徒弟制度が生きていた昔、仕事は見習い小僧の丁稚奉公(でっちぼうこう)から始まり、やっと一人前になるまでに時間が掛かりました。仕事自体が「修養としての一つの道」になっていて、仕事場は人生の道場でもあったのです。
其の五十 無理せず・無駄せず・気にしないで、新たな道へ転換するのも方法
理由は特に無いが、「もう一度、確認しておこう」というモヤモヤした気持ちが湧き起こってきた。それで、念のため調べてみたら本当に間違いが見つかった、というような経験は誰にでもあると思います。「虫の知らせ」といったインスピレーションによって、問題を早期に発見出来て良かったといった事もあるでしょう。
其の四十九 大宇宙の根源に通じ、自己の天分を自由自在に生かす!
「またわれと離れた神が救ってくれるとか、あるいは現実を離れた悟りがある(相対)かのように思うのは間違いであって自己陶冶以外に解決法がない」という沖導師の言葉の意味を、まだ解説していませんでした。
其の四十八 静中に動機を失わず、動中に静境を保つ…
東洋思想の陰陽論には、陰中に陽が有り、陽中に陰が有るという考え方があります。陰を季節の冬とすれば、寒い冬(陰)にも日中の陽だまりには温かさ(陽)があります。これが陰中陽有りです。
其の四十七 新入社員であっても、会社の伝統を背負っている…
全てに対して何らかの責任を持つということについて、例え話を述べておきます。
会社見学で、ある大手企業を訪問したとしましょう。見学の途中で、社史について尋ねてみたいことが生じました。ガイド役の社員に聞こうと思うのですが、ガイドさんは他の見学者と話しているため、なかなか質問出来ません。そこで、目の前で作業している社員さんに聞くことにしました。
其の四十六 大宇宙の根源力が一切に及び、あらゆる存在を成り立たせている…
自力と他力という言葉があります。自力は自分の力、他力は他者の力です。
前者が自分で道を切り開いていく力であるのに対し、後者は他者の助けを得て生きていく力となります。
其の四十五 相反するように見える二つのものが、一つに合わさって働きとなる
沖導師は「すべてこの宇宙に必要なもので」あるから、「すべては善である」と言われました。すべてが善であれば、物事を単純に善悪二元論で捉えてはいけないということになります。
其の四十四 悪党でも、まとめ役がいるほうが秩序は保たれる…
そもそも「この宇宙に善悪など無い」というのは、いわゆる「悪」をそのまま放っておいていいという意味ではなく、迷惑千万な悪は勿論懲らしめねばなりません。
この世に悪党と呼ばれる人間がおります。それが大悪党ともなると、大英雄と紙一重になります。
其の四十三 互いに善を掲げて言い争うほど、醜い悪は無い…
過多や不足は悪。過多や不足の無い、バランス(調和)の取れている状態が善。そう述べたのは、儒学思想家で幕末志士三千人の師と言われる佐藤一斎です。