頭で考えないで、体で考えよ。それは一体どういうことでしょうか?
「体で考えるということは、実践してみることであって、体には意識で支配できる部分とできない部分とがある。そうしてこの二つの部分が相互に影響しあって、人間の日常生活にあっては、この支配できない部分が、支配できる部分に対して大きな影響力をもっているのである。
では、人間はこの支配できないものに支配されて生きて行かねばならないのか、「否」である。
多くの人はこの支配の下に惰性的に生きている。その現われが苦しみである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房68~69頁)
「考える」ということは、頭だけがやる作業と思われがちですが、実際には体全体でやっています。体の特に五感が重要で、目による視覚、耳による聴覚、鼻による嗅覚、舌による味覚、皮膚による触覚、つまり五感を働かせることによって、外界からの刺激を感じ取りつつ、その意味を考えたり対応策を練ったりしているのです。
そうして体で考え、あれこれ実践してみることになりますが、「体には意識で支配できる部分とできない部分があ」ります。頭が痒いと感じたら、そこを手でかく。これは意識で支配できます。でも、自律神経の支配下にある心臓の動き(心拍)や胃腸による消化は、無意識に行われていることであるため、基本的に「支配できない部分」に属します。
支配できる部分と支配できない部分、これら「が相互に影響しあって、人間の日常生活にあっては、この支配できない部分が、支配できる部分に対して大きな影響力をもっている」というのです。緊張する場面で心臓のドキドキを抑えようと思うのに、ますます鼓動が速くなるばかり。その緊張感が胃腸に及べば、消化吸収が不調となり胃が痛くなる。これらは、支配できない部分による影響力の例でしょう。
「多くの人はこの支配の下に惰性的に生きて」おり、「その現われが苦しみ」ともなるのですが、「では、人間はこの支配できないものに支配されて生きて行かねばならないのか」というと、沖導師は「否」と断言されます。(続く)