ちょっとした事ですぐ嫌になる、飽き性でなかなか続かない。そういう性向は、(過去の失敗体験等の影響による)無意識の働きによって、意識(顕在意識や表層意識)が固定化されているからだと思われます。沖導師は、この無意識をきちんと支配するよう促します。
「われわれはこれを支配しなければならない。支配できない部分も、支配できる部分の影響をうけるのであるから、この支配できる部分を通じて意識的に訓練して行けばよいのである。ここに修行の目的と効果があるのであって、修行とは体をはってやることである。
目的をもったら、それに到達する練習をしなければならない。だが、ただやればいいのではなく、どういう心構えでやっているかが結果を方向づけるのである。常に強い意志と反覆する実践によって体に目的とするものを把握して行かす。これが奥義へ到達する道である。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房68~69頁)
無意識の領域というのは「支配できない部分」のことで、それは「支配できる部分の影響をうけ」ています。怒りの感情は収めるのになかなか難儀しますが、一つの方法として「ありがとお~」という言葉とともに深呼吸すれば次第に(それなりに)鎮まってきます。飽きやすい性分も「そもそもなぜ始めたのか」という原点を常に振り返るようにすれば、少々の事ではへこたれない忍耐力を養うことが出来ます。
「ありがとお~」の呼吸や、「そもそも」という振り返りは、意識して行える事です。それによって、やたらに怒ることが少なくなったり、続ける氣力が起きて来たりするならば、意識して取り組める事から入ることで、無意識の領域を変えられたという事実になります。
それが、「支配できる部分」による意識的な訓練の例でしょう。何かを身に付ける場合、最初は意識して練習を積み重ねますが、だんだん無意識のまま動けるようになっていきます。そこに「修行の目的と効果があ」り、まさに「修行とは体をはってやること」なのです。
そして、沖導師は「目的をもったら、それに到達する練習をしなければならない」と教えます。それは「ただやればいいのではなく、どういう心構えでやっているかが結果を方向づけるのであ」るとも。
その「心構え」に、そもそもなぜ行うのか、何のため・誰のために行うのかといった、原点に関する認識を入れましょう。まさに「強い意志」とは、原点からブレない意志のことであり、原点に基づいて反覆・実践すれば「体に目的とするものを把握」させることになり、それが「奥義へ到達する道」ともなるのです。
最初から根氣や根性のある人なんていません。原点からブレないよう意識しつつ鍛錬を積み重ね、習慣化・日常化させていって無意識の領域に刻み込めば、やがて奥義に届くことになるというわけです。(続く)