其の六十二 人間関係において、距離が近付くとダメになるというタイプ…

何を選び、どう動き、いかに生きるかを決めるのは、実は無意識であるという教えの続きを述べていきましょう。

「こうしたことがわかることは、自己の思考と行動を支配しているものは、この内在して、せしめている働き、つまり無意識だということをさとることなのである。

人間は、このひそんでいる無意識が動かす通りに動いてしまうのである。とくに意識的に行動する余裕のない時には、この無意識が全支配権(運命決定権)を持ち、余裕のある時には、この無意識と意識とが相互に批判しあって、力の強い方が言行の支配権を握るのである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房67~68頁)

「無意識が動かす通りに動いてしまう」ということは、人間関係においても生じます。例えば、相手と一定の距離を保っている間はいいのですが、より近付いた関係になると、たちまち摩擦が生じて、ケンカ別ればかりしているという人がいます。もちろん、誰でも大なり小なりそういう傾向を持っているのですが、それが極端に繰り返される場合、無意識の領域に「ひっかかってしまう何か」があり、それによる「はからい」としてケンカ別れを起こしてしまうのかもしれません。

そういうタイプの人の傾向として、全てに亘って自分が采配(さいはい)しないと気が済まないという意識(支配欲)が働いている可能性があります。相手との距離が十分あれば、いわゆる「マウントを取られる」ことはなく、心に余裕も生じます。でも接近によって、次第に領分を荒らされますと(荒らされる気がしてきますと)心の余裕は雲散霧消します。

そうして、相手を受け入れよう、仲良くしようという意識よりも、心の深いところに潜んでいた否定と拒絶の意識(無意識)のほうが強くなり、不安や苛立ちが収まらないまま、とうとう断絶に至るわけです。

そうなる一つの原因として、幼少期から人と群れて遊ぶことが苦手であった可能性があります。自分一人で遊ぶことのほうが多く、自分の世界にひたることが好きであったと。そのため、無意識のうちに“自分一人の遊び”を邪魔されたくないという思いが高まり、つい相手を拒否する言行を選んでしまうのではないかと思われます。

そういう人は、個人で行える「何かに没入する仕事」を選ぶか、あるいは面倒な人間関係の調整は「仲間に任せる」ようにするのがいいでしょう。実は筆者も、かなりそのタイプであり、「綜學」という綜合学問の研究と体系化にずっと没頭してきました。人間関係の調整を含めた実務的な業務は、誠に有り難いことに仲間や弟子たちが熱心に取り組んでくれています。(続く)