何を選び、どう動き、いかに生きるか。それを決めるのは、実は「無意識」です。表面的な意識よりも、深いところにある無意識が元になっている場合が多いと。
そもそも一つの現象に接しているのに見方が人によって異なり、同じ出来事に遭遇しているのに人それぞれ反応が違うのは、無意識の領域に存在している「何か」が個々別々だからです。
私の周囲には政治に関心を持ち、政治家に関わっている人が沢山います。が、一口に政治が自分事だといっても、関心が政局にあるのか、政策にあるのか、選挙にあるのか、あるいは地域の政治なのか、国全体の政治なのか、世界情勢や外交なのかなど、人によってかなり異なります。また、政治家への関わり方においても、政治家観察を好むウォッチャーなのか、政治家を応援することに熱心な支援者なのか、自ら政治家になろうとする活動家なのかなど、本当に人それぞれ違います。
同じ事を体験しているのに反応が違い、同じ分野の事柄に関心があるのに取り組む対象や内容が異なるのはなぜでしょうか。それは、深いところにある無意識が働いているからだと考えられます。無意識の領域にすり込まれている「過去の体験」などに基づく深層意識が作用することで、物事に対して敏感に反応したり、逆に心のセンサーが機能せず無関心なままでいたりするというわけです。
深層意識や無意識は、その人固有の「深層の原点」につながっており、ご先祖から受けた天分や個性、幼少期以来周囲の人たちから受けてきた影響、育った環境などによって蓄積されたものと言えます。「深層の原点」こそ、無意識の領域に存在している「何か」だと思われます。
深層意識や無意識はとても大事なのですが、人は「この無意識の存在についてはあまり気づかない」でいます。また、表に現れている意識を歪めてしまうこともあります。
例えば、(表の意識として)少しでも明るく生きようと願い、明るく生きるための勉強をしたとします。その学びによって、確かに少しは明るくなるのですが、なかなかうまくいかないこともあり得ます。いくら学んでも明るいのは一時で、気が付けば暗く沈んでいる自分がいたりするのです。ちょっとした事に過剰反応して否定し、すぐに人間関係を切ってしまったり遠ざけてしまったりするのも、深層意識や無意識が原因となっているのかもしれません。
頭ではマイナス思考はいけない、自己肯定感を持つべきだと分かっています。否定的に考えたら良くないし、心を閉ざしていてはいけないと自覚しています。それでも、否定的に思ってしまう自分がいるというところに心の厄介さがあるのです。
心ばかりでなく「体にあってもその通りで、体は意志のままには動」きません。病気になろうと思って」いるわけではないのに、「病いが現れてきてしまう」ところに自己統御の難しさがあります。(続く)