其の九十七 心も身も、ゆったりとした自然体が大事…

余分な力が抜け、全身が丹田を中心に統一されている状態を「自然体」といいます。自然体であれば、押されたり引かれたりしたときに、すぐさまバタッと倒れ込むようなことがありません。中心軸を保った状態で真っ向から抵抗せず、相手の重心を上げながら交わすか、相手の力に逆らわないで受け流すからです。

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其の九十六 時空や質量のバランスと調和が、正しさや美しさの根源となる…

正しさというものは、説明を受けただけで実行出来るものではなく、知っただけで表現出来るものでもない。知ったからには実践し、あれこれ工夫し、コツコツ続けていくうちに、いつの間にか身に付いていく。そうして、自然に無心に行えるようになるところに正しさというものがあるとのことです。

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其の九十五 本質や本源に則りながら、物事を続けていくのが道

柔道、剣道、空手道、華道、香道、茶道など、日本の多くの稽古事に「道」が付きます。道とは何でしょうか。道を「みち」と訓読みすれば大和言葉となります。

大和言葉は一音一音(一音節=仮名一文字)に意味があり、「み」は身や実の「み」で物事の本質や本源を、「ち」は千(ち)や血(ち)、地(つち)の「ち」で継続するものを表します。即ち「みち」は、本質の継続を意味した大和言葉であり、本質や本源に則り、それに従いながら物事を続けていくのが道なのです。

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其の九十四 日常生活がそのまま健康道となり、仕事や活動がそのまま解脱道ともなる

一つ一つの所作がそのまま健康法となり、悟りへの道にもなる。そうなるためには呼吸が大切です。

「呼吸のコントロール法を把握すれば、道は近きにありで、今行っていることのやり方を工夫するという中に道があることに気付くであろう。ヨガの目的はここにあるのである。つまり日常生活をそのまま健康道にし、自己の業を行うことを解脱道たらしめるところにある。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房83頁)

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其の九十三 武道であれば生活即武道、茶道であれば生活即茶道となっていく

心身が統一された状態で物事を行う。そうすれば、生命力は完全に生かされ、自由に働く。沖正弘導師は、そのように教えます。

「心身を統一して物事を行えば、生命力を完全かつ自由に働かせることができるから、その一挙手、一投足がそのまま健康法となり、悟道法となるのである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房83頁)

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其の九十二 呼吸は心と体をつなぐ。ヨガとはつながること、だから呼吸はヨガの基本

力はあっても、心身に故障があって心身が統一されていないと、力は出せないとのことです。では、どうすれば心身が統一された状態で物事を為せるのでしょうか。それには、心理的、生理的、解剖学的な安定が必要になるのだそうです。

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其の九十一 目的に向かう心のスイッチが、オンになっているかどうか…

「心身の働きが中心に統一されている時の心理状態は、注意が目的に集中して、感受性は最高度に鋭敏になり、意識は鮮明になっているのである。力は集中統一して使うほど強力になる。神経は昂奮と抑制の二力を統一して使うとき最高の力を発揮することができるが、注意力つまり意識が分裂している時には弱まる。多くの人は意識分裂のために、その持っている力をも失ってしまうことが多い。」
(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房82頁)

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其の九十 中心が一つ、全体が共通の目的に向かう、各員の持ち分が自由に発揮

最も生命力を発揮するには、心身の働きが中心に統一されることと、身体の各部分が、それぞれ持ち分を自由に発揮できることが重要であると、沖導師は教えます。まさに、「中心(みなか)を立て、分(わけ)を明らかにして結ぶ」です。

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其の八十九 中心(みなか)を立て、分(わけ)を明らかにして結ぶ

神道に「中心(みなか)を立て、分(わけ)を明らかにして結ぶ」という教えがあります。

「みなか」の「み」は、身や実の「み」で本源的な本質を、「なか」の「な」は和やか・滑らか・仲間・並ぶなどの「な」で調和を、「か」は陰・風・霞(かすみ)・空(から)などの「か」で、奥深くてハッキリしないものを表します。

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