其の九十 中心が一つ、全体が共通の目的に向かう、各員の持ち分が自由に発揮

最も生命力を発揮するには、心身の働きが中心に統一されることと、身体の各部分が、それぞれ持ち分を自由に発揮できることが重要であると、沖導師は教えます。まさに、「中心(みなか)を立て、分(わけ)を明らかにして結ぶ」です。

「つまりそれぞれの道に従って、行ったり、考えたりするやり方が心理的に、生理的に最も自己の生命力を発揮できる姿勢をとっていること──言葉をかえていえば心身の働きが中心(丹田※)に統一されて、他の部分がどれも持ち分の力を自由に発揮できる状態になることである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房81頁)※丹田以外に「ムラカラ、チャクラ」と書かれているが「ムラカラ」は何を指すのか不明。

この中心統一されている様子を、沖導師は、よく回っているコマに例えます。

「コツというのも同じで、全体の力が中心に統一されて、中心を保って回り続けているコマのように、ひとつの目的に向かって心身が統一されて自己の全力を自由に発揮できることをコツをおぼえたというのである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房81~82頁)

中心が一つであること、全体が一つの目的(共通の目的)に向かうこと、それぞれの持ち分が自由に発揮されていること。これらが、統一のコツを掴んでいる状態というわけでしょう。これは、個人の能力発揮のためばかりでなく、組織の団結や団体の活動力養成、国家の発展のためにも通用する哲理であると考えます。

我が国は、人皇初代の神武天皇以来、皇統が連綿として続く中心統一国家です。神武天皇は大和橿原の地に都をお定めになられたとき、「兼六合以開都 掩八紘而為宇」という詔勅をお出しになりました。

「六合」は東西南北上下であるから世界全体を、「八紘」は冠の八本の紐で全ての方角に伸びる様子を、「宇」は「いえ」を表します。つまり、この詔勅は「世界全体が平和にまとまるための都を開き、全てを大きな家としよう」という意味になります。

そうして、世界の平和と人類の幸福のため、国民一人一人がそれぞれの持ち分を生かし、大統一と大調和を起こしていくところに日本人の生き方があるのです。我が国は、天皇という中心、「六合開都 八紘為宇」という目的、そのための国民の持ち分発揮が、しっかりと整っている統一国家であるという次第です。(続く)