其の九十六 時空や質量のバランスと調和が、正しさや美しさの根源となる…

正しさというものは、説明を受けただけで実行出来るものではなく、知っただけで表現出来るものでもない。知ったからには実践し、あれこれ工夫し、コツコツ続けていくうちに、いつの間にか身に付いていく。そうして、自然に無心に行えるようになるところに正しさというものがあるとのことです。

「正しさは説明を受けて行じられるものではない。正しさを知っただけでそれを現わせるものではない。正(しさ)を知るに(と)共に、こうすればよいのかと行じつつ工夫して、何時(いつ)の間にか身についてしまって、自然に無心に行じられている正しさが真実の正しさである。これを正しくしようと頭で考えなくても、無意識に正しさが行じられるようになったら、道を体得したと言うことができるのであって、その道の達人というのは無心にそのことのコツを行じられるようになった人のことをいうのである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房83~84頁)

正しさとは、時間的にタイミングが合い、空間的に「場」に適い、質的・量的に程(ほど)良く、全体的にバランスの取れた状態を指しているものと思われます。

武道の演武や舞踊の演舞も、音楽や美術や演劇も、人との交流や親交も、全て時空や質量のバランスと調和が、正しさや美しさの根源となっているはずです。それを頭で考えなくても、コツとして自然に、無意識のまま表せるようになってきたときに、「道を体得した」とか「その道の達人になった」などと言われるようになるのです。(続く)