其の八十九 中心(みなか)を立て、分(わけ)を明らかにして結ぶ

神道に「中心(みなか)を立て、分(わけ)を明らかにして結ぶ」という教えがあります。

「みなか」の「み」は、身や実の「み」で本源的な本質を、「なか」の「な」は和やか・滑らか・仲間・並ぶなどの「な」で調和を、「か」は陰・風・霞(かすみ)・空(から)などの「か」で、奥深くてハッキリしないものを表します。

「なか」とは、外から見たら調和してまとまっているけれども、奥深い内部までは分からないことを意味する大和言葉です。そこに確かに存在しているのだが、その中までは中に入ってみなければ分からないから「な(調和)か(奥深くて分からない)」と言うのです。

そして、その「なか」の中でも、中央にあたる部位を「まなか(真中)」といい、さらに本源的な位置を「みなか」と呼びます。古事記の最初に登場する神である「アマノミナカヌシの神(天之御中主神)」は、宇宙の本源的な中心を司る神(※ここでいう「神」は働きや作用のこと)です。

また、「わけ」の「わ」は、輪(わ)・綿(わた)・亘(わた)る・若い・湧く・ワクワク・分ける・割るなどの「わ」です。「わ」は、円満・充足する全体と、その分割を意味します。「け」は、毛・汚(けが)れ・消す・蹴るなどの「け」で、表面に起こる現象のことです。

「わけ」は、まさに「分ける」の「わけ」です。円満・充足している全体の中から、自分の立ち位置を発見し、天分(天からいただいた我が持ち分)を生かしつつ、具体的な成果(表に起こる現象)を出すよう目指すことが「わけ」となります。

こうして「みなか」を立て「わけ」が明らかになれば、「むすひ(び)」が起こります。「むすひ」は、生成力や産出力のことです。

「むす」の「む」は、村・群れ・蒸れるの「む」で内なる発酵による生成・造化・増殖を、「す」は進む・鋭いの「す」で先鋭・突出を表します。「むす」とは、内に発酵・増殖しながら前に現れ出ていくことであり、苔むす・草むす・ムスコ・ムスメなどは、生成・造化を意味する一連の大和言葉です。

それから、「むすひ」の「ひ」は日・火・光りの「ひ」で、氣の力としてのエネルギーを表します。すなわち「むすひ」は生成力・産出力のことであり、その生成の原理は「陽・陰」にあります。古事記には、陽のムスヒの神である「タカミムスヒの神」と陰のムスヒの神である「カミムスヒの神」が、「アマノミナカヌシの神」に続いて登場し、宇宙全体が中心に統合されながら、陽陰の落差によって生成発展していく様子が描かれています。

さて、沖ヨガの沖正弘導師は、全体が中心によってまとまり、心身が統一されつつ、自己の力を自由に発揮出来ることの大切さを説いています。まさに、中心(みなか)を立て、分(わけ)を明らかにして結ぶ」という教えに通じる思想です。(続く)