其の九十七 心も身も、ゆったりとした自然体が大事…

余分な力が抜け、全身が丹田を中心に統一されている状態を「自然体」といいます。自然体であれば、押されたり引かれたりしたときに、すぐさまバタッと倒れ込むようなことがありません。中心軸を保った状態で真っ向から抵抗せず、相手の重心を上げながら交わすか、相手の力に逆らわないで受け流すからです。

同様に、精神においても自然体があります。囚われや拘(こだわ)り、偏りや引っ掛かり、計らいや下心といった雑念の無い状態が自然体であり、外部からの雑音にいちいち惑わされることがありません。誉められて舞い上がらず、貶(けな)されて落ち込まず…。それを、「無心」や「無計(計(はか)らいが無い)」と言います。

「何道にあっても達人の心境は無心、無計(無束縛)で、その心身は何もしていないかのように、ゆったりとしている。またその呼吸も、何ごともないかのように、ゆったりと深く落ち着いている。思考作用も、意欲も、また起伏の現象に対する感情の動きも、一切消失しているかのように見えるのであって、心も体も、どこへもまた何物にもとどまっていない。この状態のことをヨガではニルビカルパ・サマディ(Nirvikalpa Samadhi)不動心、動を含んだ静寂境、ニルバーナ(安定、空、無)というのである。

こういう達人はどのようにしてその道を体得したか、それは呼吸コントロール法の体得によってである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房84頁)

「達人の心境は無心、無計であり」、「その心身は何もしていないかのように、ゆったりとしてい」ます。そして、そのときの呼吸は、「何ごともないかのように、ゆったりと深く落ち着いてい」ます。思考も、意欲も、感情の起伏も、一切が消えているかのようであり、心身ともに執着や執心(しゅうしん)無く、動の中にも静が有って安定していると。

そういう達人は、「呼吸コントロール法の体得によって」、その境地を体得しているのだそうです。それは一体、どういう呼吸法なのでしょうか。(続く)