其の百三十八 現象に流されること無く、同時に観念に迷い込むことも無い…

「昔、ここは○○屋さんだったなあ…」とか、「ここにあった蕎麦屋さんに、ときどき出前を頼んでいたなあ…」などと、感慨深く振り返ることがありませんか。

いま居るところや、かつて住んだところの一昔前を思い起こすと、その頃お世話になった店々(みせみせ)が、今はかなり入れ替わっているという現実に氣付かされます。その一方で、たとえ以前より寂れているとしても、(全体が消滅していない限り)街が街であることに変わりが無いということにも感じ入ります。

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其の百三十七 一見、不要と思われかねない作法の中に大事なものが潜んでいる…

子供の頃、テレビで大相撲を見ていて、「お相撲さんって、どんどん入れ替わるんだな…」って思ったことがあります。成績によって力士の番付が場所毎に移動し、前までいた力士の名前が消えていく(下がっていく)ことに無常観を抱いたのです。やがて何年も経つと、昔からいたお相撲さんが僅(わず)かになってしまうことに、何とも言えない淋しさを感じました。

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其の百三十六 こちらの色メガネで、相手を決め付けてしまうのは本当に恐いこと…

人間は、過去の経験を知識(知恵)として積み重ね、それを状況判断に生かしています。こういうときにはきっとこうなるとか、こういう人は後でこう出るなどと、経験知を今と後(のち)に生かしているのです。それが、いつも的確ならばいいのですが、「妄執」によってズレが起こると大変です。

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其の百三十五 自分の心の通りに世界が見えてくる…

この世界では、心が一切を決めている…。それを「唯心」と言います。

「心が乱れていても、体が乱れていても、万象は乱れて見えるので、そのことをそう見ながらそう見えるのである。そう思うからそう思えるのである。心清ければ一切清く、心たのしければ一切たのし(三界は唯心の所現)と言っている。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房p.107.)

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其の百三十四 冥想は、世界の根源的働きや、人生の意味などを感じ取るための行法

冥想(めいそう)と聞いて、一体何を思い浮かべますか? 禅寺の座禅や、インド伝来のメディテーション等を連想し、ただじっと座っていることだと考えている人が多いと思います。冥想について、沖ヨガの沖正弘導師は、次のように解説しております。

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其の百三十一 止息から吐息への「呼吸の流れ」を上手く掴むことが、動作体得のコツ

「勝負はこの二つの呼吸で決まる」という二つの呼吸は、クムバク(止める息)と吐く息のことです。「ムッ(ンッ)!」と止めた息を、そのまま「ム-ッ…」と吐くことによって、呼吸の流れを上手く作ることが諸芸諸道を体得するコツとなります。

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