人間は、過去の経験を知識(知恵)として積み重ね、それを状況判断に生かしています。こういうときにはきっとこうなるとか、こういう人は後でこう出るなどと、経験知を今と後(のち)に生かしているのです。それが、いつも的確ならばいいのですが、「妄執」によってズレが起こると大変です。
「人間は自分のかけている色メガネの色で、また自分の持っている尺度で、物を見、物を判断している。自己本位の執着や、自己流の感じ方(好き嫌い)によって物を否定したり、肯定したりしている。だから唯進むべきに進み、唯退くべきに退くという自然的な真実の生き方ができないのである。
だから、真実を観、真実を生きるためには、この妄執を止めなければならない。この妄執を去るためには、この妄執の作り主であるところの自己を離れなくてはならない。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房p.107.)
メガネに色がついていれば、見るもの全てがその色に見えてしまいます。固定された尺度を持っていれば、その尺度でしか物を測れません。
「自己本位の執着や、自己流の感じ方」がそれであり、そのまま偏った好き嫌いのもととなって、「物を否定したり、肯定したりして」しまうのです。その結果、進むべきときに進み、退くべきときに退くという、自然な生き方が出来なくなると。
「真実を観、真実を生きるためには」、妄想による執着である「妄執を止めなければ」いけません。自分の心の通りに世界が見えてくるのだからこそ、「妄執の作り主であるところの自己を離れなくてはならない」というわけです。
こちらの色メガネで、相手を決め付けてしまうのは本当に恐いことです。本来良い子なのにダメな子と決め付けるからダメな子になり、欠点のある子であっても良い点を見れば良い子になるというのが、心に思うことだけが現れてくるという唯心の世界の真理なのです。(続く)