この世界では、心が一切を決めている…。それを「唯心」と言います。
「心が乱れていても、体が乱れていても、万象は乱れて見えるので、そのことをそう見ながらそう見えるのである。そう思うからそう思えるのである。心清ければ一切清く、心たのしければ一切たのし(三界は唯心の所現)と言っている。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房p.107.)
この世界では、心が一切を決めている…。それを「唯心」と言います。
「心が乱れていても、体が乱れていても、万象は乱れて見えるので、そのことをそう見ながらそう見えるのである。そう思うからそう思えるのである。心清ければ一切清く、心たのしければ一切たのし(三界は唯心の所現)と言っている。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房p.107.)
冥想(めいそう)と聞いて、一体何を思い浮かべますか? 禅寺の座禅や、インド伝来のメディテーション等を連想し、ただじっと座っていることだと考えている人が多いと思います。冥想について、沖ヨガの沖正弘導師は、次のように解説しております。
動いたり休んだり(活動と休息)、息を吐いたり吸ったり(呼息と吸息)、心臓がドキドキ鼓動したり(収縮と弛緩)…。生命現象は、相反する二つの動きのバランスで成り立っています。
「勝負はこの二つの呼吸で決まる」という二つの呼吸は、クムバク(止める息)と吐く息のことです。「ムッ(ンッ)!」と止めた息を、そのまま「ム-ッ…」と吐くことによって、呼吸の流れを上手く作ることが諸芸諸道を体得するコツとなります。
第三の呼吸である止息、それをヨガではクムバクと言います。クムバクには、意識を集中させたり、内在する力を引き出したりする働きがあります。具体的には、演劇や角力(すもう・相撲)の際に必要となる呼吸だそうです。
お馴染みのラジオ体操などで行う「深呼吸」は、息を吸ったり吐いたりします。「呼吸」という熟語も、呼気と吸気、すなわち吐く息と吸う息で成り立っています。
学生時代に西洋医学の科目である生理学を学んだとき、呼吸の項目に「変態呼吸」というのがあって、笑いや欠伸(あくび)がその例に挙げられていました。笑いは祓いの効果もあって健康に良いのですが、西洋医学では単なる変態呼吸に入っているということに驚きました。「それだけなの?」と、ガッカリしたのです。
長息、つまり長い息は、そのまま長生きに通じます。特に、吐く息を長くすることが大切です。祝詞奏上や読経、あるいは歌を歌うことは、いずれも吐く息が長くなって長生きの元になります。
宇宙には、我々を生かす力があり、ヨガではそれをプラナといいます。漢字では「氣」、大和言葉では「み」、「ひ」、「みいつ(御稜威)」、「なほひ(直霊)」などが、プラナに相当する言葉であると考えます。