その155 孫子の兵法~始めは処女の如く、後は脱兎の如く…

「始めは処女の如く、後(のち)は脱兎の如く…」という、よく使われる言葉があります。最初の内は、まだ嫁入り前の実家にいる娘のように静かに振る舞っているが、そういう神妙さは最初の間だけ。状況が有利に転じたと見たら、一気に姿を変えて激しくなり、まるで脱走する兎のように勢い良く飛び跳ねて行ってしまうという意味です。

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その154 諸侯をとりまとめて天下の秩序を維持する「覇王の軍隊」となれ!

九地篇その六について、言葉を補いつつ、さらに分かり易く訳してみます。周代の封建領主である諸侯は、下剋上が激しくなりつつある古代社会にあって、第一に自分の地位の安泰と領地の保全を図らねばなりませんでした。そこで孫子は、次のように指南します。

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その153 死地に陥ってこそ、生きのびる力が湧き出てくる!

孫子が活躍した春秋時代、有力諸侯が次々現れて覇を競い、同盟(会盟)を率いて諸侯をとりまとめました(春秋五覇)。天下の秩序を維持した有力諸侯は、覇者や覇王と呼ばれる大人物たちです。その威厳は、九地を知り尽くし、地の利を得るところから起こされました。

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その152 兵士の心情を理解した将軍のみが、勝利をもたらして国家と国民を守る!

では、補足を踏まえて、九地の復習をしましょう。

まず、諸侯がそれぞれ自国の地で戦う場合を意味する散地です。散地では、そもそも戦ってはならないというのが定石です。散地で戦うということは、既に敵に侵入されているということなのですから、勝ったところで被害が大きく負ければ大損します。この散地にあっては、散り散りにならぬよう士卒や人民の心を一体にするのが心得となります。

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その151 深く入れば戦いに専心出来るが、浅いままだと逃げ散ってしまう

戦い方は土地の性格に応じて練るべきであり、それを九つに分けて説明しているのが九地篇です。この九地に対して、孫子は補足を述べています。

《孫子・九地篇その六》
「敵国に攻め入ったときの道理として、深く入れば戦いに専(もっぱ)らとなるが、浅ければ逃げ散ることになる。

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その150 現場トップは孤独~静かで暗く、何を考えているのか分かり難い…

組織をまとめ、人を動かす指揮官の仕事は極めて大変です。真意を理解してくれる側近は限られており、現場トップはいつも孤独です。世間の的外れな非難にも耐えねばならず、心労は重なる一方です。

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その148 まるで一人の人間であるかのように、一丸となって動ける組織にするには…

軍隊を、まるで一人の人間であるかのように、一丸となって動ける組織にするには一体どうしたらいいのでしょうか。孫子は、それを蛇に譬えました。
「戦上手な者は、譬(たと)えれば率然(そつぜん)のようなものだ」と。

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その147 このままでは呉越同舟ではなく、呉越決戦へ向かうのみとなる?!

紀元前5世紀頃、呉と越は覇を競い合っていました。仇敵同士の呉と越が同盟関係となるなんて想像も出来ないことですが、孫子は状況によってはあり得ると述べました。もしも呉の人と越の人が同じ舟に乗っていて、途中で暴風雨に出遭えば、舟を沈めないために必ず協力し合うようになると。これが有名な「呉越同舟」の由来です。

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その146 部下たちは、注意しなくても用心し、要求しなくても力戦するようになる

孔子や老子、韓非子らは、いずれも人間通の思想家でした。喜怒哀楽に揺れ動く人間という存在を、的確に掴んでいる者を人間通と呼びます。孫子も人間通として、人間心理をよく捉えていたことが分かります。

人間は弱い存在であり、誰だって死にたくありません。人間心理として、死を恐がるのは当然のことです。しかし、乱世に生まれた以上、戦いを避けて通れないのが宿命であり、武人は死を恐れぬ勇猛さを求められました。

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