その165 役に立ったことを認めてくれ、誉めてくれるのは君主や将軍のみ

立派な座敷に座っている人物が、立ち上がって縁側に出る。そして、庭先に跪(ひざまづ)く間者から情報を受ける。時代劇を見ていると、そういう場面にしばしば出くわします。間者は身分が低くても、トップかそれに近い人物と直(じか)に会えるのだなと感心させられます。貴重な情報は何人もの人を介するのではなく、出来るだけ直接、君主や将軍に届けるのがいいわけで、そのことを孫子は「全軍の中で、間者より親近な者は無」いと述べました。

そして、敵は勿論のこと、その使命を味方にも覚られてはいけないのですから、間者は常に命懸けです。どこかであっさり殺され、供養してくれる者もいないまま無縁仏となって朽ち果てるのが間者の宿命ですから、その分、生きている間くらいは手当てを厚くしてやらねばなりません。「賞与を与える相手として間者より厚い者は無」いのです。これも時代劇やチャイナドラマでよく見かけるシーンですが、「よくやった」と労いながら、間者に重そうな小袋を手渡しています。

当然のことですが、「仕事において間者より秘密を求められる者は」ありません。その任務の困難さや重圧からくる苦しみを誰にも打ち明けられず、上役の悪口を安心して言い合える仲間も、愚痴を聞いて貰えるような友人も基本的に存在しません。

そうやって秘密厳守を求められつつ、国家の一大危機を救うほどの最重要情報をもたらすのが間者の仕事です。せっかく大事な情報を持って来るのですから、「(間者を使う将軍は)優れた智恵を持たなければ間者を用いることが出来」ません。情報を決断に生かせなければ間者の仕事に意味は無く、そもそも間者を用いたことにならないのです。

また「仁義の精神を持たなければ間者を使うことが出来」ません。間者は普通の生き方を捨てているのですが、彼(彼女)も人の子であるという事実を忘れたら可哀想です。結局、役に立ったことを認めてくれたり、誉めてくれたりする相手は君主や将軍しかいません。だから、自分に指示を下すトップとの絆と、頂戴する労いの言葉や賞与が全てなのです。それで、トップは間者に対して、仁義(仁愛と恩義)の精神を持たねばならないわけです。(続く)