戦争くらい出費の多い難事はありません。「十万の大軍を起こして千里の遠くに出征させ」るのですから、国民にとっても政府にとっても莫大な経費の掛かる取り組みになります。その上、戦争は非常事態なのですから「国の内外が騒動となり」、道路は兵士の移動と戦車や物資を運ぶ輜重車(しちょうしゃ)の通行が優先されます。人民の生活に制限が掛けられ、農民らは軍隊への奉仕に忙しくなり、耕作に励めない者が多数現れるでしょう。
そうして「敵と相対峙する状態が数年に及」んで苦労を重ねながら、「(いざ決戦となれば)一日で勝利を争うことにな」ります。戦時の苦労は勝利してこそ報われることになるのですが、勝つためにはまず敵の情報を的確に掴んでおかねばなりません。
そこで必要となるのがスパイや間者による諜報活動であり、それへの出費をケチるなと孫子は諭します。彼らは大変重要な任務を背負っているのですから「(ご褒美としての)爵位や俸禄に掛かる僅かの金銭を惜しんで」はいけないのです。
ちょっと考えればすぐ分かることですが、情報の有無と正確さによって勝敗が決まり、人民の安全が大きく左右されます。だから、「敵の情報を知ろうとしないのは(民衆に対する)不仁の至りで」しかありません。情報戦に疎いようでは「人民を率いる将軍とは言えず」、そのままでは到底「君主の補佐役は務まらず」、結局「勝利を収める主役にはなれない」のです。
そして、情報くらい嘘と不正確さが付きまとう代物はありません。そこで孫子は、次のような注意を我々に与えました。
「名君や賢将が動いて敵に勝ち」、人に抜きん出た成功を収めるのは、「敵に先んじて(情報を)知っているからなのだ」が、「先に知っているというのは、神々に祈ることで受け取れたのではなく、過去の出来事から類推したのでもなく、天文暦数によって占ったわけでもない」と。
即ち、神々のお告げにすがってはならず、これまでの成功・不成功の経験のみを基準にしてはならず、一種の天文科学とはいえ星占いを信じ込んでもいけないのです。それらを参考にするのは結構なことであり、兵士を勇気付け、人民を安心させるために有効活用するのも良いことだが、我を忘れるほどお告げや占いの類に夢中になっているようでは、指導者として失格であると孫子は言いたかったのでしょう。
では、情報収集にあたって一体何を重んずるべきかというと、結局それは人です。「必ず人を使って、敵の情勢を掴んでいる」のが名君や賢将の在り方なのです。偵察技術や通信機器が発達し、ハイテクによる情報収集能力がどれほど高まっても、最後は人の洞察力と判断力が重要になるということを忘れてはなりません。
そういうことから、スパイや間者には曇り無き観察眼が求められました。社会と人間に対する的確な観察力が必要不可欠です。素直にして鋭敏な感性を基に、五感を駆使しつつ敵国の情勢を察知し、国民心理の動揺や指導者の意識の変化を正確に読み込んでいくわけです。(続く)