熱心に流行を追い掛け、それをいち早く知ったり手に入れたりすることに血眼(ちまなこ)となり、人に見せびらかしては、これ見よがしに「どうだ」とばかり自慢する輩(やから)がいます。「当世風のいろいろな珍しい事を言い広め」ることに熱心で、聞いている者たちが驚くことで得意気になる人のことです。
連載
其の二十五 仲間外れにさせる会話はダメ!
会話の内容は、仲間内で通じる話題ばかり。話に付いて来られない人は仲間外れ。そういうイジメがあります。
会話に入れない人は大変辛い思いをし、「ここに私の居場所は無いなあ」と辛がり、「私の来る場所では無かった」と悲しむことになります。
其の二十四 京が騒然!伊勢の国から鬼になった女が上って来た?!
デマについて、徒然草の第五十段に面白い話が出ています。兼好法師が若い頃、伊勢の国から鬼になった女が京に上って来て、二十日間ほど大騒動になったのだそうです。
昨日は西園寺に、今日は院(上皇の御所)にという具合に、京のどこそこに鬼が出たという情報が各地に発生しました。しかし、確かに見たという人は無く、全くの虚言(そらごと)だという人もいません。身分の上下に関わらず、みな鬼のことばかり話題にする状況となりました。
其の二十三 嘘が多いのが、人間社会というものの現実だが…
嘘についての兼好法師の結論です。ともかく虚言の多い世の中であり、嘘というものは日常のどこにでもある普通のこととして、あらかじめ承知しておくのが良いとのこと。虚言は珍しいことでも何でもないのだから、いちいち振り回されないよう注意し、たとえそれが自分への悪口としての嘘であったとしても、ひどく腹を立てたりしないようにという教えです。
其の二十二 単純化した語りの嘘に騙される…
そもそも、なぜ人は嘘をつくのでしょうか。本当の事はとても言えないという状況下でつく方便の嘘なら分かりますが、日常的に虚言を口にしては愉快がる人が後を絶たないのはなぜかと。実際、都市伝説や陰謀論など、話す人も聞く人も面白がる嘘が世に溢れています。
その理由に、虚偽か真実かは別にして、その情報を先駆けて自分が知っているということからくる優越感があります。「ねっ!知らなかったでしょ!」などと言いながら、満足そうに真実性に乏しい嘘を語りかけてくる人が結構おります。
其の二十一 辻褄を合わせながら、ストーリーで聞かされる嘘が恐い!
続いて、兼好法師が説く「嘘の種類」の続きです。
第三は「本当らしく」聞こえるものの、その「所々をややぼかし」てあり、「よく知らないふりをしながら、話の辻褄(つじつま)を合わせて」いる嘘です。全てを鮮明に言おうとすれば、元々嘘なのですから粉飾だらけとなって、虚言であることがばれてしまいます。そこで巧みな嘘つきは、所々をぼかしつつ辻褄を合わせることで、嘘にストーリーを作っていきます。
其の二十 自慢しながら話す人は、鼻の穴をぴくぴく広げている?!
続いて、嘘にもいろいろな種類があるということを兼好法師が指摘します。
《徒然草:第七十三段》其の二
「(本当らしく話す)そばから嘘がばれることをも構わず、口から出任せに言い散らすのは、直ちに根拠の無い話であることが分かる。
また、自分でも本当らしくないと思いながら、他人が話した(内容を)そのままに、鼻のあたりをぴくぴく動かしながら言うのは、その人自身の虚言ではない。
本当らしく、所々をややぼかし、よく知らないふりをしながら、話の辻褄(つじつま)を合わせて語る虚言は(騙されやすいから)恐ろしいことである。
其の十九 事実をそのまま伝えるだけでは、味気なくて面白味に欠ける…
虚言(そらごと)と言えば、兼好法師は死後になってから出自を改竄(かいざん)されてしまいます。長年『徒然草』の作者は「吉田兼好」とされてきましたし、筆者もそのように学びましたが、実はこれが虚構であったということを先に述べました。
全国の神道界に勢力を築いた吉田神道家(吉田兼倶)が、有名人であった兼好法師(卜部兼好)を詐計によって吉田家一門に組み込んだため、後の人々はそれを鵜呑みに信じ込まされたのです。虚偽に注意せよと説いていた兼好法師が、死後になって嘘を言われてしまうのだから皮肉なものです。
其の十八 人は大袈裟な話を好み、会話に嘘が多い…
通信手段や情報システムの発達した今日でも、真実を知るということは本当に大変です。どこかでデマが生じて嘘が蔓延し、それが声高であればあるほど多くの人たちが信じてしまいます。その一方で、いやそれはマスコミが仕掛けた謀略だとか、ネットを使った巧妙な陰謀論に違いない、などと反発する一群が現れて来ます。
其の十七 決断を遠慮していては何も起こせない!
第五十九段の続きです。人生の第一義を選択すべきかどうかで迷ってしまう我々に、では火事のときでも動かずにいられるのか、臨終で命が終わろうとするときでも、いろいろな俗事への執着を断たないでいられるのかと迫ります。