其の二十二 単純化した語りの嘘に騙される…

そもそも、なぜ人は嘘をつくのでしょうか。本当の事はとても言えないという状況下でつく方便の嘘なら分かりますが、日常的に虚言を口にしては愉快がる人が後を絶たないのはなぜかと。実際、都市伝説や陰謀論など、話す人も聞く人も面白がる嘘が世に溢れています。

その理由に、虚偽か真実かは別にして、その情報を先駆けて自分が知っているということからくる優越感があります。「ねっ!知らなかったでしょ!」などと言いながら、満足そうに真実性に乏しい嘘を語りかけてくる人が結構おります。

その一方で、その嘘を、それなりに多くの人たちが受け入れてしまうのはなぜでしょうか。その原因に、一般的に人間は(その当事者としての)専門分野以外については、多面的な考察や複雑な発想を面倒くさがるということを挙げたいと思います。緻密に考える作業というのは、大変骨が折れます。責任を負っている仕事の、しかも専門分野でもない限り、慎重にじっくり考えるという努力は放棄されがちなのです。

それで、何かの問題に対して、どう判断したらいいか分からないようなときに、その分野の権威ある人がスパッと言い切ってくれますと、自分の中に生じていたモヤモヤは雲散霧消いたします。それが、実は裏付けに乏しい意図的な嘘であっても関係ありません。

肝腎なことは、問題の原因や理由が、単純化した語りで解説されているかどうかです。単純化した語りの嘘であるほど、聞いている側の頭の中はスッキリしていき、知らないうちに嘘を信じ込まされていくということになるわけです。

では、第七十三段の残りを解説いたします。虚言の多い世の中への対処法が記されています。

《徒然草:第七十三段》其の三
「ともかくも虚言の多い世の中である。(嘘というものは)ただ日常的にある珍しくも無いことと心得ておくのが、万事につけて間違いの無いことだ。(教養の無い)下々の人の話には聞いて驚く事ばかりだ。(教養のある)よき人は怪しいことなんて語らない。

そうは言っても、仏神の霊験や高僧の(奇跡的な)伝記は、(世間の嘘同様)そういちがいに信じないのがいいというのでも無い。これについては、世俗に伝わっている迷信を心から信じてしまうのは馬鹿馬鹿しく、(そうかといって)まさかそんな事はあるまいと言うのも無益だ。大体は本当の事としてあしらっておき、いちずに信じることをせず、また疑ってあざけることもしないのがいい。」

※原文のキーワード
ともかくも…「とにもかくにも」、万事につけて間違いの無いこと…「よろづたがふべからず」、下々…「下ざま」、話…「物語」、聞いて驚く…「耳驚く」、そうは…「かくは」、霊験…「奇特」、高僧…「権者」、そういちがいに…「さのみ」、信じないのがいいというのでも無い…「信ぜざるべきにもあらず」、迷信…「虚言」、心から…「ねんごろに」、馬鹿馬鹿しく…「をこがましく」、まさかそんな事はあるまい…「よもあらじ」、無益だ…「せんなし」、本当の事としてあしらっておき…「まことしくあひしらひて」、いちずに…「ひとへに」(続く)