其の三十六 解決して気が緩んだときが要注意

有名な木登り名人と言われた男が、弟子を高い木に登らせたときの話です。弟子は、ある程度修練を積んだ者のはずで、手際良く登って梢を切り終え、するすると下りてきました。

誰が見ても高くて危ない間は、名人は何も言いませんでした。ところが軒長くらいの高さになったとき、すかさず「失敗するな、注意して下りよ」と言葉を掛けたのです。

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其の三十五 人は、難しいところよりも、簡単なところや楽なところで失敗する

「高名の木登り」の段を初めて読んだのは、確か中学生の時であったと思います。教科書に出ていて、それを授業で暗記させられたことを覚えています。

人は、難しいところよりも、簡単なところや楽なところで失敗する。何事もホッとするときが危ないという教訓に、なるほどと思いました。

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其の三十四 成長するかどうかは、今出来る事をしているかどうかで分かる

綜學という全体学を研究し、著作と講義に務めることが筆者の天職です。いわゆるデスクワークの中で最も時間を割きたいのが綜學の基礎研究ですが、毎日庶務に追われ、なかなかじっくり基本を学べる時間が取れないのが日常です。

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其の三十三 一矢に集中せよ!習い始めの意識の置き所が肝腎

矢を射る弓道では、二本の矢を一組と考えます。初めに射る一本目を「甲矢(はや)」、後に射る二本目を「乙矢(おとや)」と言い、その一対を「一手(ひとて)」と呼びます。

甲矢を射る際、乙矢も同じ手に持ち、続けて射ることが出来るよう修練するわけですが、それはある程度上手くなってからやるべきことであって、「初心の人」は二つの矢を手に持ってはいけないという注意が師匠から促されました。

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其の三十二 本日の講義に集中する以外に、もう次の機会は無い…

一発で当てよ!一撃で倒せ!などという、集中力の重視を促す教えがあります。一方で「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」という考え方もありますが、修練として行うからには一本で決めなければ自己成長に繋がりません。

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其の三十一 もし悔しければ、その想いの力を自己成長に振り向けよう!

自分は素直でないので、社会に対してあれこれ疑ってばかりいる。そのためか、自己成長のために頑張ろうという気は、はっきり言って起きない。世の中の役に立つよう、何かに励もうという意欲も湧かない。

当然のこと、大した成長は見られず、注目されるような活躍も無い。しかし、他人が成功を遂げて輝き出すと、どうしても羨(うらや)んでしまう。兼好法師は、そういう感情が生じるのが人の性(さが)だと言いました。

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其の三十 素直であれば、本来の調和した状態から外れない…

素直という言葉があり、その振り仮名は「すなほ」です。素直の「す」は直(す)ぐ・進む・鋭いなどのスで先鋭・突出を、「な」は和む・鞣(なめ)す・滑(なめ)らかなどのナで調和を、「ほ」は稲穂(いなほ)・炎(ほむら)・誉めるなどのホで秀でた様子を表します。

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其の二十九 嫉妬心という厄介な感情…

人間には、嫉妬心という厄介な感情があります。成功して名声を獲得した人が出ると、必ずと言っていいほど嫉妬の渦が生じます。有名人に対するジェラシーは無論のこと、同級生や友人など、近い関係にある人が立派に生きているという場合にも、我々は嫉妬心をめらめらと燃やしてしまいます。

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其の二十八 まだまだこれからという意気を保てるかどうか

講師をしていて嬉しいのは、弟子の成長を見られるときです。見識が深まったな、ものの見方が偏らなくなったな、怒りの感情だけで発言しなくなったな、周囲を惹き付ける人間力が養われてきたな、などというときに喜びを感じます。成長する受講生は、目が輝き出し、表情が明るくなり、どんどん動きが良くなります。

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其の二十七 昇りきった龍は、後悔するのみ…

横臥したまま、じっとしている龍のことを臥龍(がりょう、またはがりゅう)と言います。臥龍とは、卓越した資質才能を持ちながら、自分を必要とする人物に出会うまでは決して動こうとしない龍のことです。チャイナの歴史では、焦ることなく英傑の誘いを待っていた諸葛亮孔明を指しています。臥龍であった孔明は、劉備玄徳の「三顧の礼」によって世に出ることになりました。

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