其の三十二 本日の講義に集中する以外に、もう次の機会は無い…

一発で当てよ!一撃で倒せ!などという、集中力の重視を促す教えがあります。一方で「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」という考え方もありますが、修練として行うからには一本で決めなければ自己成長に繋がりません。

それは学問研修においても同様で、一回の講義を本氣で受けねばなりません。録画があるから安心などと思っていてはダメです。後でもう一度きちんと視聴し直せばいいという緩んだ気持ちでいるうちに録画がどんどん溜まっていき、結局深く学べないまま終わってしまうからです。

やはり勉強も、聞き逃さないで一回で学び切るという氣迫で臨まないと、なかなかものにはなりません。昔は録音も録画も出来ませんでしたから、話すほうも聞くほうもド真剣にならざるを得ませんでした。本日の講義に集中する以外に、もう次の機会は無い。そういう覚悟で、講義するほうも、学ぶほうも相対(あいたい)したいものです。

《徒然草:第九十二段》
「ある人が弓を射ることを習うとき、二本の矢を手に挟み持って的に向かった。師匠が言うには「初心者は、二つの矢を持ってはいけない。後の矢を頼みにして、始めの矢を手抜きにする心が起こるからだ。毎回、外れたら次は当てようなどと考えることなく、この一矢で決めようと思いなさい」とのこと。

わずか二本の矢を持っているだけであり、師匠の目の前にいるのだから、一本の矢をいい加減に射ようなどと思うわけがない。しかし、緩みの心というものは、自分では気付かなくても師匠は見抜いているものだ。この戒めは、万事に共通していよう。

道を学ぶ人は、夕方には明朝があると思い、朝には夕方があると思って、後でもう一度丁寧に学び直せばいいなどと期待する。(そういうふうだから)ましてや一瞬間のうちにおいて、緩みの心が生じていることは知らないでいる。なんとまあ、唯今(ただいま)の一念において、(為すべき事を)直ちに実行することの大変な難しさよ。」

※原文のキーワード
二本の矢…「もろ矢」、手に挟み持って…「たばさみて」、手抜きにする心…「なほざりの心」、毎回…「毎度」、外れたら次は当てようなどと考えることなく…「得失なく」、決めよう…「定むべし」、いい加減…「おろか」、緩みの心…「懈怠の心」、自分では気付かない…「みづから知らず」、師匠は見抜いている…「師これを知る」、共通…「わたる」、後でもう一度丁寧に学び直す…「重ねてねんごろに修(しゅ)せん」、ましてや…「いはんや」、一瞬間「一刹那(いちせつな)」、なんとまあ…「なんぞ」、大変な難しさ…「はなはだ難き」(続く)