横臥したまま、じっとしている龍のことを臥龍(がりょう、またはがりゅう)と言います。臥龍とは、卓越した資質才能を持ちながら、自分を必要とする人物に出会うまでは決して動こうとしない龍のことです。チャイナの歴史では、焦ることなく英傑の誘いを待っていた諸葛亮孔明を指しています。臥龍であった孔明は、劉備玄徳の「三顧の礼」によって世に出ることになりました。
真の臥龍なら成長を止めませんが、凡龍の場合、一旦は昇り龍となるものの、慢心して天井に頭を打ってしまいます。そこからはもう伸び代が無くなり、後は下降するばかりです。それを亢龍(こうりょう)と呼びます。
達成感からヤル気を失う。謙虚さを失って尊大になる。そういう状態が亢龍です。亢龍と化して自滅に至らないためには、「まだまだ、これからの意気!」を持つことが必要です。
《徒然草:第七十八段》
「竹林院の入道左大臣殿(西園寺公衡)は、太政大臣に昇進なさろうとするときに、何の差し障りもおありにならないのでしょうに、「珍しくも無い。左大臣の地位で止(や)めにしておこう」と言って出家されてしまった。洞院(とういん)の左大臣殿(藤原実泰)は、この事を感心なさって相国(しょうこく、太政大臣)の望みをお持ちにならなかった。
(昇りきった龍である)亢龍(こうりょう)は後悔するとか言われている。月は満ちては欠け、物は盛んになっては衰える。どんな事も(頂点に達して)先が詰まっているのは、破滅に近い道である。」
※原文のキーワード
差し障り…「滞り」、左大臣の地位…「一上(いちのかみ)」、感心…「甘心(かんじん)」、お持ちにならなかった…「おはせざりけり」、後悔…「悔い」、破滅…「破れ」(続く)