其の三十 素直であれば、本来の調和した状態から外れない…

素直という言葉があり、その振り仮名は「すなほ」です。素直の「す」は直(す)ぐ・進む・鋭いなどのスで先鋭・突出を、「な」は和む・鞣(なめ)す・滑(なめ)らかなどのナで調和を、「ほ」は稲穂(いなほ)・炎(ほむら)・誉めるなどのホで秀でた様子を表します。

そして、「なほ」は直す・治るのナホであり、元の姿に正すことを意味します。即ち素直とは、本来の調和した状態から外れないよう、囚われることも拘(こだわ)ることもなく真っ直ぐ伸びて行くことなのです。

松下幸之助塾長(松下政経塾)は、この素直という言葉を大変尊ばれ、「素直な心になりましょう」という唱え言葉の普及に努められました(PHP研究所)。「素直な心は、あなたを強く正しく聡明にいたします」と。

私が松下政経塾に入塾(第1期生)して1年目のとき、同期生の一人が松下塾長に「自分は、まだ志が見つからないが、どうしたらいいでしょうか?」と率直に質問しました。塾長は、「強く願うことと、素直な心になることの二つが必要」であるとお答えになりました。

そもそも願いが弱いままでは、腹の底から湧き上がるような意氣は生じないでしょうし、素直な心が無ければ、身の回りに起こる事柄に対して疑って掛かるばかりで前向きな受け止め方は出来ないでしょう。

素直という言葉は、逆らうなとか従順であれといった、抑え付けるためのものではありません。本来の自分を曲げたり損ねたりしないでしっかり引き出し、のびのびと天分を生かし、自分らしさを発揮して生きるところに素直の意義があるのです。それを願って松下塾長は、素直な心の大切さを教えてくださったものと考えます。

兼好法師も、素直という言葉を徒然草で用いています。「人の心は素直でないから、偽りが無いというのでもない」と述べました。人は誰でも苦労して辛酸を嘗めるうちに、次第に素直さを失い、心が曲がってしまうことがあります。そして、相手の言動を偽りに違いないと真逆に受け止めてしまうことにもなります。

でも、中には「自然と正直な人が、」ちゃんといます。自然と素直さが備わった正直者のことですが、そういう人が賢さを生かし知恵を使って成功しますと、やはり周囲は嫉妬して悪口を言ってきます。(続く)