有名な木登り名人と言われた男が、弟子を高い木に登らせたときの話です。弟子は、ある程度修練を積んだ者のはずで、手際良く登って梢を切り終え、するすると下りてきました。
誰が見ても高くて危ない間は、名人は何も言いませんでした。ところが軒長くらいの高さになったとき、すかさず「失敗するな、注意して下りよ」と言葉を掛けたのです。
兼好法師は、この一部始終を見ていたものと思われます。法師は「もうそれくらいの高さになったら、飛び下りたって下りられるだろう。どうしてそのように言うのか」と尋ねました。
すると名人は、「その事です。めまいがし、枝が折れそうで危ない間は、本人自身が恐れていますから注意しません。失敗というものは、たやすい所になってから必ず起こすものでございます」と答えました。
当時の木登り職人は、特に学問を修めているわけではありませんから、「卑しい身分の者」となります。でも、その指導ぶりは「聖人の教訓に適って」いました。木登りに精通している達人の言葉に、兼好法師はいたく感心したのです。
その、たやすい所にこそ注意せよという教えは、蹴鞠にも共通していました。蹴鞠は、平安時代に流行した貴族の遊びで、通常8人が輪になって鞠を蹴り合い、その回数を競いました。
奇策を巡らして激しく攻防する競技とは違う、極めて日本的な競技の一つが蹴鞠です。単純な遊びなのですが、鍛練を重ねることによって進歩する奥深さがありました。
「難しい状況を何とか蹴り出した後で、これで安心と思ったときに必ず鞠を落とす」とのことで、それは人生にも仕事にも通ずる尊い教訓です。何かの問題を乗り越える場合も、解決して気が緩んだときが要注意というわけです。(続く)