其の二十三 嘘が多いのが、人間社会というものの現実だが…

嘘についての兼好法師の結論です。ともかく虚言の多い世の中であり、嘘というものは日常のどこにでもある普通のこととして、あらかじめ承知しておくのが良いとのこと。虚言は珍しいことでも何でもないのだから、いちいち振り回されないよう注意し、たとえそれが自分への悪口としての嘘であったとしても、ひどく腹を立てたりしないようにという教えです。

勿論、攻撃的な虚言をそのまま放っておくわけにはいきませんから、世間へのきちんとした説明なり抗弁はしなければなりません。あまりにも酷ければ、名誉毀損として訴える用意も必要です。

まあ、そこまで悪質で無い限り、「言いたい奴には言わせておけ」という超然たる態度を貫きたいものです。そうして、嘘が多いのが人間社会というものの現実であると覚っておけば、「万事につけて間違いの無いこと」になるというわけです。

そして、とりわけ知識や教養に劣る庶民の話題ほど驚いてしまう虚言が多いが、きちんと知識や教養を身に付けた人たちなら、軽はずみに怪しい話を語ったりしないと。話の筋道を理解するための知識や、物事を客観視出来る幅広い教養を持っていれば、虚言のカラクリや論理の飛躍に騙されたりしないものです。

このように虚言への注意事項を記す一方で、兼好法師は、不思議な話をバカにしてはいけないとも述べました。特に仏神にまつわる霊験あらたかな話や、高僧の伝記によくある奇跡的なエピソードなどは、頭ごなしに否定してはいけないという心得です。

霊験とは、祈願に応じて仏神がお姿を現したり、苦しんでいる人間を救ってくれたりする、有り難くて不思議な現象のことです。宗派の開祖など高僧の伝記には、必ずと言っていいほど、神秘的な出来事が紹介されています。

そういう話には、何らかの根拠があるものと推測します。しかし、段々尾ひれが付いて大袈裟になり、迷信としか思えない状態になっている場合も多いでしょう。だから「心から信じてしまうのは馬鹿馬鹿」しいが、「まさかそんな事はあるまい」と言って退けるのも勿体ないことです。

そこで「大体は本当の事としてあしらっておき、いちずに信じることをせず、また疑ってあざけることもしないのがいい」という次第です。狂信的でなく、さりとて懐疑的でもないという、その辺りが程良い“仏神との距離感”なのでしょう。(続く)