通信手段や情報システムの発達した今日でも、真実を知るということは本当に大変です。どこかでデマが生じて嘘が蔓延し、それが声高であればあるほど多くの人たちが信じてしまいます。その一方で、いやそれはマスコミが仕掛けた謀略だとか、ネットを使った巧妙な陰謀論に違いない、などと反発する一群が現れて来ます。
多数の人々に全体を観察する大局観があり、真実と核心を見抜く洞察力があり、流れを読み取る直感力があるならば、デマに騙されたり、嘘に踊らされたりすることから避けられるのでしょうが、なかなかそうはいきません。部分に囚われ、一旦信じ込んでしまった見解から抜け出すことが出来ず、異なる意見に対して殻を作っては反発し、全面的に拒絶する以外に能の無い者が殆どであるというのが現実ではないかと思うのです。
そもそも人は大袈裟な話や、あり得ない不思議な話を好むため、会話に嘘(うそ)は付きものと言えます。兼好法師の時代もそれは同じで、怪情報や陰謀論といった類があれこれ出ていたようです。では、嘘に惑わされないためにはどうしたらいいのか。その心得と冷静な対処法が、『徒然草』第七十三段に出ております。
《徒然草:第七十三段》其の壱
「世の中に語り伝えている事で、真実と言える事は面白くないのだろうか、多くはみな虚言(そらごと)だ。人は、事実以上に作り事をして語るものだが、ましてや年月が過ぎ、場所も隔たっていると、言いたい放題に創作して語られていき、文書にも書きとどめられてしまえば、そのまま定まってしまうことになる。
諸芸の道の達人の(技量の)優れている点について、ものの分からぬ人で、その道を知らない場合、無闇矢鱈(むやみやたら)にまるで神のようだと誉め称えるが、道を知っている人は全く信じる気持ちを起こさない。噂(うわさ)に聞くのと、実際に見るのとでは何事でも違いがあるものである。」
※原文のキーワード
真実と言える事…「まこと」、面白くない…「あいなき」、事実以上に…「あるにも過ぎて」、作り事をして語る…「言ひなす」、場所…「境」、言いたい放題に…「言ひたきままに」、作り事をして語る…「語りなす」、そのまま…「やがて」、諸芸の道の達人…「道々の物の上手」、優れている点…「いみじきこと」、ものの分からぬ人…「かたくななる人」、無闇矢鱈に…「そぞろに」、全く…「さらに」、噂…「音」、違いがある…「変はる」(続く)