兼好法師は人間観察がとても好きで、外見と中身の違いに注目しました。人間は、なかなか見た目では分かり難いもので、優しそうに見える者が極めて冷淡であったり、恐ろしそうな外見の者が意外にも優しい人であったりします。
連載
其の五十 約束を守るコツは、約束しないところにある?!
はっきり嫌だと言えば、そこで喧嘩(けんか)になる。だから、相手への思い遣りとして遠回しに言う。それが、都に生きる人たちの知恵とのことです。
でも、筆者のような無風流な田舎者は、そういう遠回しな表現に、しばしば戸惑います。そのままストレートに受け止めて構わないのか、それとも言葉の行間を察するようにすべきなのかで迷うのです。
其の四十九 これ以上偉そうに振る舞うのは、不格好だからお止(よ)しなさい…
都に上ることを、上洛(じょうらく)や入洛(じゅらく)と言います。洛は、チャイナの国都の一つとして知られる洛陽(らくよう)のことです。我が国では京都が都なので、天下を目指し、その要である京都に入ることが上洛や入洛でした。
源平争乱の頃、京都には平氏や源氏の武将たちが上洛し、また幕末維新期には、薩摩や長州などの雄藩や、全国の志士たちが入洛しました。彼らは都で一時(いっとき)勢力を誇りますが、やがて去っていく運命にもありました。
其の四十八 兼好法師の頃にもあった、東国と都の人間性の違い…
堯蓮上人は、元は東国の荒くれた武者でした。人を斬らねばならない武士という稼業に、次第に嫌気が差して出家したのだと思われます。
あるとき、故郷の知り合いが都にやって来て、堯蓮上人を訪ねました。あれこれ語り合う中に、東国と都の人間性の違いについての話題がありました。
其の四十七 信頼出来るが、実は冷たい。優しい分、つい嘘をついてしまう…
鎌倉幕府成立以後、武士が東国を中心に勢力を増す一方、都は次第に窮乏していきました。兼好法師は、その両方に住むことで、東国と都の違いを実際に体験しています。人間観察に優れている法師の心に響いた話題が、第百四十一段に出ております。
其の四十六 心待ちにして迎えた夏祭りが、翌日の昼で終わったときの淋しさ…
騒がしく見物席に登っては、行列をジロジロ見る。そして、ああだの・こうだのと批評する。それでは、お祭りの表面だけ見ているに過ぎないと、兼好法師は指摘しました。ならば、どういう見物の仕方なら「これぞ本当の祭り見物だ」と、合格点をいただけるのでしょうか。
其の四十五 お祭りの面白さを、一つの流れとして味わいたい…
賀茂祭(かもまつり)は京都を代表する祭で、下鴨神社と上賀茂神社の例祭です。雅な平安装束をまとった人々が練り歩くことで知られ、葵の緑の葉を簾(すだれ)に掛けたり、行列の勅使(行列の最高位)や斎王代(輿に乗った祭りの主役)、共奉者の衣冠などに飾ったりすることから、葵祭(あおいまつり)とも呼ばれます。
其の四十四 メインとなる出し物だけ見て、これで見物は済んだと思い込むのは残念
何かの行事を見物する場合、その主たる展示物や、メインとなる出し物だけ見て、「これで見物は済んだ」と思い込むようでは残念です。行事の準備から終了後に至るまで、全体を流れとして味わってこそ、しみじみと心に染み入るものがあります。
其の四十三 感動やときめきは、心の中に残り続け、いつでも再現させられる
月や花は、ただ目で見るばかりがいいのではない。「春は家から出て行かなくても、(秋の)月の夜は寝室の内にいながらでも(情景を)思い浮かべることは、とても心豊かで趣がある」と兼好法師は述べます。
以前どこかで自然に感動し、風景に心ときめいた気持ちは、その後も残り続けます。残像や残響となった想いです。それは心の中にあって、いつでも再現させられます。過去の豊かな想い出を、心でしっかり味わい直すことが出来るのです。そのときの自分と今の自分が、時空を超えて共鳴するというわけです。
其の四十二 どんな物事も、盛んなときばかりがいいのではない…
長文の第百三十七段には、兼好法師の深い美意識が、具体的な事例であれこれ表現されています。どんな物事も盛んなときばかりがいいのではなく、むしろ始めと終わりが趣き深いと。そして、その美的感覚を共有出来る友人がいて欲しいとも述べています。