其の六十五 自分を超えた者が入って来ると、平常心でいられなくなって大変…

「俺くらい何でも知っている人間はいないぞ」と自慢する。「私くらい優秀な人間はいないのよ」と偉ぶる。世間にはそういう人が沢山いますが、多くが子供っぽく、端から見てその稚心(ちしん)が分かり易いものです。

中には、優しくて謙虚そうに見えるものの、心の奥では自慢し偉ぶっているという人もいます。プライドが高い分、外面(そとづら)を良くすることで一層偉く見られようとしているのでしょう。

そういうタイプの人は大抵ジェラシーが強いので、なかなか厄介です。基本的に自分以下の人間を集め、お山の大将でいられる間は穏和なのですが、そこに誰か一人、自分を超えた者が入って来ると、もう平常心でいられなくなるから大変です。普段よりオクターブの高い金切り声を上げては、興奮しながら批判的な言葉を口にするようになっていきます。

あからさまに子供っぽく自慢する人も、人格者のように振る舞いながら本当は偉ぶりたいという人も、どちらも「自分の才智を取り出して人と争う」ことになります。それは「角ある者が角を傾け、牙ある者が牙をむき出すのと同類である」と兼好法師は戒めました。

本当に徳の高い人であれば、自分の「善行を誇らず」、無闇(むやみ)に人と争いません。外面を良くしている者だって勿論能力の高い優秀な人なのですが、何かで「他人に勝(まさ)っている事がある」だけに、そこを誰かに崩されたときに争いの心が生じて、「大きな損失」をもたらすことにもなるのです。

そういうことから「身分の高さにおいても、才智芸能の優れている点においても、先祖の誉れにおいても、人よりも勝っていると思う人は、たとえ言葉に出して言わなくても、内心に多くの科(とが)があるものだ」と、法師は厳しく戒めました。

人は誰でも、自分を支える「心の拠り所」を求めます。それはプライドを保たせてくれるものでなければならず、家柄や家系、経歴や才能などで満たすことになります。それらは表に出さなければ問題は無いと思うのですが、どうしても何かのきっかけで言動の端々に出てしまいがちなだけに注意が要るというわけです。(続く)