成長したければ、「恥ずかしがらないで人前に出よ」という教訓の続きです。
どんな分野であれ、名人や達人と呼ばれる人は、人並み外れた努力家です。自分に与えられた才能を見出し、繰り返しの修練によって、それに磨きを掛けます。いかなる天才も、並な努力では、せいぜい上手と称えられる程度で終わってしまうでしょう。
天才は「天与の才を持った人」のことですが、その才能は特定の部分に偏っている場合が多いものです。まるでごつごつした原石のように荒削りで、上手いときは上手いが、下手なときは下手でムラがあり、そのままでは不器用者にしか見えないという状態です。
実際に活躍するためには、その荒削りな原石のままではダメです。才能に満ちた分野は当然のこと、その周辺まで開発されていく必要があるのです。
例えば、味覚という分野が優れているだけではなく、手先が器用でない美味しい料理は作れません。さらに美的センスが伴わないと視覚に訴える「美味しそうな盛り付け」が苦手となり、構成能力が加わらないとコースメニューを創作出来ません。
だから、味覚に優れているというだけでは料理の名人になれないのです。では、舌が肥えているのだから料理評論家ならなれるのかというと、言葉が豊富で文章力に秀でていないと、一体どう美味いのかについて表現し切れません。
兼好法師は「天下の名人と言われる人も、最初は下手という評判が立つくらい、酷い欠点があったものだ」と語りました。それは、名人がまだ原石であった頃の荒削りな様子を表現した言葉なのだと思われます。
でも、何とかする方法があります。「そういう人であっても、芸道の掟を正しく守り、それを大切にして自分勝手にやらなければ」、やがて世に知られる達人となり、「万人の師」ともなれるとのことです。それは「どの道でも変わりは無い」と。
「芸道の掟」は、その道の基本のことです。何事にも、基本精神や基本動作というものがあります。基本精神は、昔から言い伝えられてきた守るべき心得です。基本動作は、入門の初日に教えられ、どんなに成長しても練習の始めなどに必ず行う動作のことです。相撲なら四股、柔道なら受け身、剣道なら竹刀の素振りが基本動作となります。
基本精神と基本動作は、よく守り、そこから外れなければ必ず成長するという基礎であり、諸道・諸芸それぞれの歴史を通して結晶化された拠り所(よりどころ)のことです。
何かを教えられたとき、直ぐに自己流をやってしまう人がいますが、基盤が出来ていない状態でいきなり我流をやってしまうと、結局上手くいかないことが多いものです。まず基本を身に付け、そこから自然に自分の流儀が起こってくるようでないと、本当の創意工夫にはならないわけです。
こうして、この第百五十段には、稽古や修練における「成長の基本」が示されていました。その要点は、下記三カ条となります。
第一カ条 未熟な段階から、積極的に人前に出て発表せよ。
第二カ条 自分勝手にやらないで、基本を身に付けよ。
第三カ条 途中で諦めないで、名人になるまで続けよ。
(続く)