「自分自身をも他人をも頼りにしない」という兼好法師の教えと同様の見解を、江戸時代初期の大学者である山鹿素行が述べていました。(下記は佐佐木杜太郎著『現代人の山鹿兵法』久保書店165頁~166頁を参考にしています)。
連載
其の百九 宇宙や天から、大切な「声」が下りて来るようになる!
《徒然草:第二百十一段》其の二
「人間は天地の霊長である。天地には限りが無い。人間の本性は、どうして(この限りの無い天地)と異なることがあろうか。
寛大にして窮まることが無ければ、喜怒(哀楽の感情)も妨げとならず、(外界に存在する)物によって煩わされることも無くなるだろう。」
其の百八 常に全体観に立って、物事を綜観(そうかん)していこう!
論理は本来、全体を観ることで成り立ちます。部分的・断片的で根拠の希薄な情報に踊らされ、自分や自分たちにとって都合のいい意見にだけ耳を傾け、異なった意見を頑(かたく)なに拒否し、反対意見を唱える者たちを一方的に見下すようになりますと、もはや対話は不可能です。
其の百七 自信過剰による失敗~決断を誤り、人を失い、自他共に大きな損失を被る
「自分自身をも他人をも頼りにしない」という兼好法師の言葉には、なかなか深い意味があります。通常は「最後に信じられるのは自分だけだから、他人を頼りにするな」などと教えます。ところが、敢えて自分をもあてにしてはならないというのです。
其の百六 自分自身をも、他人をも頼りにしないという心得…
何かを頼りにしてはいけない。依頼心を断て。そういう心得を述べる兼好法師は、さらに「自分自身をも他人をも頼りにしない」よう諭します。そうすれば「是なるときは喜び、非なるときは恨まない」と。
其の百五 やたらに逆らってくる人は、実は心が脆い…
自分の考えと違う意見を聞いたとき、たちまち反発しては激しく文句を言う人がいます。どれくらい異なる見解なのかという程度にもよりますが、何かにつけ逆らっては批判を口にする人が随分いるものです。
其の百四 短所や欠点よりも、むしろ長所や得意で身を滅ぼす…
人間は短所や欠点よりも、むしろ長所や得意で身を滅ぼします。短所や欠点は、物事が上手くいかない原因にはなるものの、必ずしも失敗や破滅の元にはなりません。
また、苦手な分野であれば、最初からあてにしていません。もともと期待していないのですから、予想通りダメであっても、そのこと自体で、ひどく落ち込んだり危機に陥ったりすることは少ないはずです。
其の百三 否定の向こうに人生を大肯定するという、実に味わい深い心得…
権勢や地位、財産、これらは全てあてにならない。人の心は変わり易く、そもそも信じられる人間なんていない。そう述べているのが『徒然草』第二百十一段です。
一見、暗い思考に過ぎないと思われがちですが、否定の向こうに人生を大肯定するという、実に味わい深い心得が示されています。一切をあてにしなければ、騙される事も裏切られる事も無くなり、この世をタフに生き抜いていけるという強靱な人生観が、そこにあります。
其の百二 孔子、動きの鈍い弟子たちに注意を促す?!
兼好法師は『徒然草』第百八十八段の締め括りに、「早ければ則ち成功する」という論語の一節を挙げました。そして、「まそほのすすき」の意味を知ろうとしていた登連法師が、そのチャンスを逃さないで直ぐに出向いた故事に倣い、後れを取らないで「一大事の因縁を考えなければならない」と述べました。
其の百一 立志の前に素志があり、素志によって人生の方向性が定まる
こうして登連法師は、素早い行動によって知りたかった「まそほのすすき」の意味を習うことが出来たのだそうです。この言い伝えについて、兼好法師は「尊くて滅多に無いこと」であると感心しました。