其の百十七 兼好法師の繊細な感性と豊かな表現力は、一体どこからきたのか?

『徒然草』には、兼好法師と関わりのあった女人との思い出話や、恋愛観についての見解が書かれています。それらを読めば、兼好法師はチョイ悪オヤヂであるという見方が出てくるのも当然でしょう。しかし、『徒然草』各段のテーマは多岐に亘っており、達人の在り方や武芸者の心得、勝負に勝つコツなど、硬派な内容も沢山載っています。

本連載は、主にそこに的を絞りました。残心が大切であるということ、弓道では二本目をあてにせず一矢に集中すべきこと、何事も勝とうと思うほど負けてしまうということ、先手準備が馬術の基本であるということ、捨てる潔さが勝利につながるということなどについて述べてみたのです。

硬軟織り交ぜて多岐に亘るというのは、それもそのはずで、兼好法師の出自は従来考えられていたような公家ではなく在京の侍でした。一家で関東に下向し、金沢(現・横浜市)や鎌倉に住んでいたこともあり、またのちに宮中の文書などを扱う蔵人所に属して内裏(だいり)に仕えてもいました。つまり、関東の武家と京都の公家の両方から刺激を受けられる立場にいたのです。それによって、その豊かな表現力の基盤がつくられていったのでしょう。

また、兼好法師の先天の才能として、真理や核心を掴もうとする探究心があったということも指摘しておきます。

最終の第二百四十三段には、八歳のときの思い出として、父に「仏とはどういうものですか」と尋ねた話が出ています。「仏は人間がなったのだよ」と父が答えると、「では、人はどのようにして仏になるのですか」と質問します。そこで父は、「仏の教えによって、人は仏になるのだ」と答えました。

さらに兼好法師は「その教えましたところの仏には、何が教えていたのですか」と問いを続けます。父はまた「それは、その前の仏から教えられていたのだよ」と答えました。

さらに兼好法師は「その教え始めた一番目の仏は、どういう仏なのですか」と粘り強く質問を重ねます。とうとう根負けした父は、「空から降ってきたのかな、土から湧いてきたのかな」と、笑いながら答えたというエピソードが記されています。

こうして疑問を重ねながら真理を究めようとする姿勢が、兼好法師の繊細な感性と豊かな表現力を養わせる元になったのでしょう。

さて、『徒然草』の連載はこれで終わります。拙論をご愛読くださり心から御礼申し上げます。次回から新連載は、私の師匠の一人であり、日本ヨガ界の草分け的指導者であった沖正弘先生が教えていた「バランスの取れた生き方のコツ」について述べていきます。引き続き宜しくお願い申し上げます。(続く)