其の百十六 広く学び、自分の身体を潜らせ、実践や体験を踏まえる…

心に主を宿す。それは、自分が自分の主人公になるということです。そのためには、広く学ぶということ、自分の身体を潜(くぐ)らせながら学ぶということ、実践や体験を踏まえつつ学ぶといったことが必要になります。

学問は、部分的・断片的な学び方で終わってはなりません。得意分野や専門領域は持つべきですが、全体が観えていないと、一体今勉強している事が自分にとって何であり、世の中にとってどんな意味があるのかに気付けません。

また、部分的な見方に偏れば洗脳され易くなり、世の中の分断化に知らず知らずのうちに巻き込まれてしまう恐れもあります。そうならないよう、広く学ぶことで全体観を養いましょう。

そこで、学びの中に是非とも哲学や思想を入れてみてください。哲学や思想は、どちらも真理や原理、あるいは生き方や在り方を探究するための学問です。どちらかと言えば、哲学はそれを理性的に深め、思想はそれを広くまとめて考えることだと筆者は考えています。

江戸時代までの日本人にとって、学問と言えば、第一に儒学や仏道といった哲学・思想のことでした。物事を深く広く受け止められてこそ人間的な器が養われるわけで、幕末志士の中に器量の大きい人物が輩出されていたのは、やはり学問(哲学・思想)の力によるものでした。

この哲学や思想を練るとき、自分の身体を潜らせることが肝腎です。それには、常に「自分はどう感じたか」、「自分はどう考えるか」、「自分ならどうするか」などと自問自答(気付きと置き換え)してみるのが一番有功です。自分の身体を潜らせるというのは、要するに「内なる自分に聞く」ということなのです。

そして、実践や体験を踏まえながら学んでいきますと、知識が見識へ、見識が胆識へと深まってきて、借り物でない信念や価値観が養われることになります。何かの活動を通して、現実の仕事を通して、身体を動かす稽古などを通しての体得が、本物につながる道となるわけです。

こうして、広く学ぶ、自分の身体を潜らせる、実践や体験を踏まえるということによって、心に主が宿ってまいります。心に主が宿れば確固たる志も立つでしょうし、自分が自分の主人公となって、想像以上に天下国家の役に立つことも可能となるはずです。(続く)