其の十一 瞑想によって、宇宙と自分、天と人が一体であることに気付く

思案の挙げ句、探していた答は、自分の中にあったというご経験はありませんか。自分の中にあるもの、それはご先祖からチスヂ(血筋)として受け継いでいる霊格や天性であったり、生まれた国や故郷の自然や信仰、言葉や習慣などによって形成された人格や個性であったり、あるいは幼少期の学問や体験によって育まれた信念や価値観であったりします。

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其の十 自分に聞けというのは、まさにイノチに聞けということ…

「勘ほど確かなものは無いんや」。そう言われたのは、経営の神様と呼ばれた松下幸之助塾長です。勘は、いい加減な当てずっぽうではありません。松下塾長ほど、納得するまで熟慮を重ねる人はいませんでした。よく考えた末、最後の決断は勘を頼りにしたということです。

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其の九 嫌な事態に追い込まれても、なお耐え抜き、許し、愛せるかどうか…

火事場の馬鹿力とは、普段眠っている能力のことに他なりません。イザというときに発揮される底力がそれです。

誰の人生にも、例外なくいろいろな困難が伴います。予想もしなかった問題に悩まされたり、人間関係の様々な苦しみに揉まれたり、多くの障害に邪魔されたりしますが、それでも負けることなく困難を乗り越えていかねばなりません。

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其の八 出来るはずのない理不尽な指示で鍛えられる!

「火事場の馬鹿力を日常的に出せ!」。これも沖導師の大事な教えです。沖ヨガ修道場(静岡県三島市)で行われる「強化法」という行法が、その火事場の馬鹿力の出し方の訓練でした。

ヨガと聞くと、ゆっくり行う独特のポーズや、静かに呼吸する瞑想法などを思い浮かべる人が多いでしょう。沖ヨガ修道場の場合、行法はそれらばかりではありません。道場で一番ハードな行法に強化法というものがあり、自分が持つ能力を過小評価しがちな固定観念を、しっかりと打ち破るための様々な鍛錬が組まれていました。

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其の七 無理するな、無駄するな、続けてやれ

同じ程度の困難が起きたとき、それを乗り越えて成長する人と、そこで終わってしまう人がいます。その乗り越えていく力のことを適応力と言います。

沖導師は「悟りとは適応性が高度にたかまって、何ごとにも調和できる状態になっていること」だと述べました(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房12頁)。

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其の六 病気をきっかけにヨガと出会い、精神の深化によって哲学の指導者へ

沖導師は「ヨガ行法の実行によって、二十二年間の痼疾(こしつ)から脱却」されます。痼疾とは長患いのことで、種々の慢性症状を脱して健康を取り戻されたのです。しかし、体調の回復で幸福になれたかというと、「心の悩みや動乱は依然として続いてい」ました(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房10頁)。

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其の五 東洋的な人物や、真の行者による集まりとは…

※1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房をもとに述べています。

さて、沖導師は長年の病弱に苦しまれていました。何とか健康回復を図りたいと願い、様々な健康法や修行法を教える団体に入会されます。また、通常の化学療法や物理療法、精神療法に不満を抱いていたことから、神秘的で奇蹟的な治療をヨガに求めました。そうして昭和14年、インドに渡って本場のヨガに接します。

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其の四 与えられた苦しみや悩みを、変革や進化のエネルギーに転換せよ!

苦しみを悪と見ず、避けようとしない。文明交代期の最激変期に突入する今こそ、この心得が大切になると思います。人類に与えられた苦しみを悪と見ず、進化のための意欲に転換させていく。そこから新たな共生文明が創造されるはずです。

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其の九 嫌な事態に追い込まれても、なお耐え抜き、許し、愛せるかどうか…

火事場の馬鹿力とは、普段眠っている能力のことに他なりません。イザというときに発揮される底力がそれです。

誰の人生にも、例外なくいろいろな困難が伴います。予想もしなかった問題に悩まされたり、人間関係の様々な苦しみに揉まれたり、多くの障害に邪魔されたりしますが、それでも負けることなく困難を乗り越えていかねばなりません。

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