すべてをあるがままに受け入れるという在り方は、努力を否定して「今のままでいい」というのではないし、次々生ずる問題に対して何も対策をしなくていいというのでもありません。あるがままの容認には、真の強さがあります。
以前、私を沖縄に連れて行ってくれた恩人がいました。ある問第解決のために急な計画を立ててくださり、石垣島と那覇に住んでいる二人の霊能者(ユタというシャーマン)を訪ねたのです。
そのとき、台風が2個も来ていて大変な悪天候でした。何とか飛行機が飛んでくれて石垣島にも那覇にも行って来ることが出来たものの、直前になって果たして行けるかどうか分からず、同行予定者の中には「台風が来ているがちゃんと行けるだろうか、行けなかったらどうすればいいのか」などと心配する人が出ました。
その恩人は、そのときのツアーのまとめ役でした。同行者の心配を聞いて、恩人は次のように答えていました。
「あのね、行けるかどうか心配しても仕方ないでしょ。行けるなら行く、行けないなら行かない。ただそれだけでしょ。それ以外に一体何があるの?」。
沖縄行きの準備はしておく。でも台風で飛行機が飛ばないかもしれない。そのときはそのときであり、行けないなら行かないだけというわけです。
その恩人からすれば、なぜ世間の人たちは「心配してばかりいるだろうか」と疑問がわくようです。そのときはそのときであり、次善の策を講じたり、次の機会を設けたりすればいいだけのことではないかと。
恩人は、超然として生きている現代の達人です。やるべき人事を尽くしたら、あとは天に任せるという達観を持っている人でした。あるがままの容認による真の強さとは、そういうことではないかと思います。(続く)