其の三十六 暴言や暴力は、心に余裕の無い人ほど起こし易い…

続いて沖導師の教えを紹介していきます。

「恐怖するのは、悪あり、損あり、敵ありと対立するからで、物事の真実を見る明がないからである。物事の真実は、現象はそのまま実在の現われであるという事実である。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房60頁)

何かを恐れる心を、自分が作り出している場合がよくあります。悪だから避けよう、このまま損したら大変だ、どう見ても敵に決まっている、などと思ううちに不安が高まって心中に恐怖心が芽生えてきます。

そうした恐怖心を作り出してしまう原因に、「物事の真実を見る明がない」ということがあります。そもそも一切の現象(あらゆる出来事)は、実在の現れに過ぎません。本来現象と実在は一体(融合体)なのですが、より根本にあたるほうが実在です。

現象に囚われると、どうしても実在が見え難くなります。それほど悪でないものを悪と見たり、「損」の後で「得」が来ることに気付かなかったり、味方に引き込めるはずの人を敵にしてしまったりといった現象が生じます。

そうならないために必要なのが「明」、つまり物事の実在を注意深く見通す「明察」です。明によって、現象に囚われることなく実在を明察しましょう。

たとえば、やたらに人に絡んでは暴言を吐き、暴力を振るうような人がいます。そういう人は、実は周囲の人たちに対して、何らかの恐怖心を抱いている可能性があります。

「えっ、ちょっと待って。暴力を振るわれる側が恐怖を感じるのは分かるけれど、暴力を振るう側が恐怖心を抱いているというのはどうして?」と不思議に思われるかもしれません。

暴言や暴力、それらは心に余裕の無い人ほど起こし易いといえます。常に周囲の誰かが、自分のことを馬鹿にし、蔑んでもいる。皆からいつも忌み嫌われ避けられているといった妄想が、まわりは敵だらけといった恐怖心を引き起こしてしまうのです。自己否定感が強く、自信の無い人ほどそうなり易く、心に凝り溜まった不安が恐怖心となって暴言を吐き、暴力を振るう事態に陥るというわけです。(続く)