其の三十五 心を静めるのも乱すのも、その元は自分の中に存在している

物事をバランス良く全体的に観る方法として、「四観」について述べてきました。

物事を素直に観る力。それは余分な力が抜けていて、心身が平静なときにより発揮されます。心身が不安定になると、それに応じて目の前にあるものが歪んで見えるようになり、そのままでは物事の真実を観ることが出来ません。

この物事を素直に観るということが、殊の外大変です。

「心は静めようと思っても静まるものでなく、乱そうと思っても乱れるものでもない。それをせしめる働きが自己のうちに存在するからであって、ヨガはその働きが何であるかを明らかにし、その除き方と平静の保ち方を教える。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房59頁)。

沖正弘導師は、心を静めるのも乱すのも、その元は自分の中に存在していると言われます。では、その「乱すもの」とは一体何でしょうか。

「心身の働きを乱すものは不調和心であり、歪んで働く体の傾向である。歪んで働く傾向(業・カルマ)は一方的刺戟を繰り返すから出てくるのである。だから練身行法ではバランス刺激を与えて、歪ませる働きを起こさせぬ生活行法を教えている。偏った心の働きの起るのは、そのままに全てを受け入れる心がないからで、それは拒もうとするからであり、恐怖するからである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房59~60頁)。

この教えを要約すれば、下記のようになるでしょう。

心身の働きを乱すもの、それを不調和心という。不調和心は、体が歪んで働くことで起こる。体の歪んだ働きは、一方的な刺激ばかり繰り返すことによって出てくる。そこで、沖ヨガではバランスを取り戻すための刺激を生活行法として与える。そうすれば、歪ませる働きが起こらなくなる。また、偏った心の働きが起こるのは、そのままカンナガラに全てを受け入れる心が無いからだ。それは、必要な刺激や体験を拒もうとし、恐怖しているところに原因がある。(続く)