一つ一つの所作がそのまま健康法となり、悟りへの道にもなる。そうなるためには呼吸が大切です。
「呼吸のコントロール法を把握すれば、道は近きにありで、今行っていることのやり方を工夫するという中に道があることに気付くであろう。ヨガの目的はここにあるのである。つまり日常生活をそのまま健康道にし、自己の業を行うことを解脱道たらしめるところにある。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房83頁)
一つ一つの所作がそのまま健康法となり、悟りへの道にもなる。そうなるためには呼吸が大切です。
「呼吸のコントロール法を把握すれば、道は近きにありで、今行っていることのやり方を工夫するという中に道があることに気付くであろう。ヨガの目的はここにあるのである。つまり日常生活をそのまま健康道にし、自己の業を行うことを解脱道たらしめるところにある。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房83頁)
心身が統一された状態で物事を行う。そうすれば、生命力は完全に生かされ、自由に働く。沖正弘導師は、そのように教えます。
「心身を統一して物事を行えば、生命力を完全かつ自由に働かせることができるから、その一挙手、一投足がそのまま健康法となり、悟道法となるのである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房83頁)
力はあっても、心身に故障があって心身が統一されていないと、力は出せないとのことです。では、どうすれば心身が統一された状態で物事を為せるのでしょうか。それには、心理的、生理的、解剖学的な安定が必要になるのだそうです。
「心身の働きが中心に統一されている時の心理状態は、注意が目的に集中して、感受性は最高度に鋭敏になり、意識は鮮明になっているのである。力は集中統一して使うほど強力になる。神経は昂奮と抑制の二力を統一して使うとき最高の力を発揮することができるが、注意力つまり意識が分裂している時には弱まる。多くの人は意識分裂のために、その持っている力をも失ってしまうことが多い。」
(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房82頁)
最も生命力を発揮するには、心身の働きが中心に統一されることと、身体の各部分が、それぞれ持ち分を自由に発揮できることが重要であると、沖導師は教えます。まさに、「中心(みなか)を立て、分(わけ)を明らかにして結ぶ」です。
神道に「中心(みなか)を立て、分(わけ)を明らかにして結ぶ」という教えがあります。
「みなか」の「み」は、身や実の「み」で本源的な本質を、「なか」の「な」は和やか・滑らか・仲間・並ぶなどの「な」で調和を、「か」は陰・風・霞(かすみ)・空(から)などの「か」で、奥深くてハッキリしないものを表します。
思い通りにならないでイライラしたり、困った事が起きて不安に襲われたりしますと、誰でも息が乱れます。呼吸が小刻みになって眉間に皺(しわ)が寄り、肩に力が入って重心が上がるのです。そういう人が張り詰めた空氣を漂わせますと、周囲にいる人まで緊張してきて落ち着かなくなります。その状態を「息が合わない」と言います。
天分を発見するには、いろいろな体験を積み、広く学ぶことが必要です。それが天分にかなう事なら、「これは自分に合いそう」とか、「とにかく興味が湧いてならない」などというふうに、直感的にピンとくるはずです。そして、何事も「やってみなければ分からない」ものですから、実際に試してみることが肝腎です。
一口に音楽が好きといっても、歌うことが好きなのか、楽器の演奏が好きなのか、音楽に合わせて踊ることが好きなのか、作曲や編曲が好きなのか、あるいはそれらの組み合わせが好きなのかなど、人によって好みはいろいろな分野に分かれます。いずれにせよ、その一番好きなところに辿り着くべきであり、そうでないと上達が滞ってしまうということを沖ヨガの沖正弘導師が指摘しています。