天分を発見するには、いろいろな体験を積み、広く学ぶことが必要です。それが天分にかなう事なら、「これは自分に合いそう」とか、「とにかく興味が湧いてならない」などというふうに、直感的にピンとくるはずです。そして、何事も「やってみなければ分からない」ものですから、実際に試してみることが肝腎です。
また、自分より先を行く先輩の「良い型」や「良い点」を真似(まね)することも有効です。真似しながら少しずつ近付けるよう努力を重ねるうちに、より自己の天分がはっきりしてくるでしょうし、天分を伸ばす方法も身に付いてくるという次第です。
さらに、その奥があります。「続いてひたすらに精進」していきますと、それが自己流でなく、「正しい行じかたであれば、いつかは理外の理」という、通常の理論や理屈を超えた世界、言い換えれば一般的な「技術や理論や思索のおくにひそむ『何か』にふれることができる」というのです。
理外の理の世界、技術や理論の奥に潜む「何か」について、言葉で表現するのは難しいでしょう。でも、自分が取り組んでいる事が天分に叶っていれば、きっと次のような現象が生じてくると思います。
1、落ち着きが出てくる
2、よく見えるようになる
3、いろいろ湧き出てくる
第一の「落ち着きが出てくる」というのは、丹田を中心に心身が統一され、重心が下がってきている様子です。運動ならば、当然のこと丹田を中心に動作出来るようになっていますし、仕事や役職における所作や身のこなしにおいても、心身統一による落ち着きが表れてきます。
第二の「よく見えるようになる」は、野球の打者なら投手の投げた球がゆっくり見える(あるいは止まって見える)といった現象です。仕事や活動なら、全体を観、核心を掴み、流れを読めるようになります。多忙な中だからこそ「一服のゆとり」を味わうことが出来、意識が鮮明に、感覚が鋭敏になるといった境地に入ってまいります。
第三の「いろいろ湧き出てくる」は、その場その時に相応(ふさわ)しい言葉が自然に出てきたり、自分でも驚くようなアイデアが浮かんできたり、行き詰まりを救うための解決策が閃(ひらめ)いたりすることです。天分によって天と自分が通じ合うのですから、あれこれ湧き出てくるのも当たり前でしょう。(続く)