其の五十八 稽古や修練、「成長の基本」三カ条

成長したければ、「恥ずかしがらないで人前に出よ」という教訓の続きです。

どんな分野であれ、名人や達人と呼ばれる人は、人並み外れた努力家です。自分に与えられた才能を見出し、繰り返しの修練によって、それに磨きを掛けます。いかなる天才も、並な努力では、せいぜい上手と称えられる程度で終わってしまうでしょう。

続きを読む

其の五十七 笑われても構わないから、もっと人前に出なさい!

武道の稽古やスポーツの練習、歌やダンスのレッスンなどを行う際、最初の内は全然分からないのが当たり前です。「見る」のと「やる」のとでは、大違いであるということを実感します。兎に角初心者は、指導者の教えを素直に受けつつ、見様見真似(みようみまね)でやってみるしかありません。

続きを読む

其の五十六 兎と亀の競争で、亀は原点をちゃんと持っていた。だから勝った?!

兎と亀の競争で、なぜ亀が勝ったのか。その理由として、目標の置き所に違いがあったという見解を聞いたことがあります。亀がゴールを見ていたのに対して、兎はゴールよりも亀を見ていたのです。

兎は、はるか後ろにいる亀を見、当分の間追い付いて来ないだろうと油断します。そして昼寝をしていたら、いつの間にか亀に抜かれてしまいました。

だから、亀だけがゴールを見ていたということになるわけですが、さらに推測すれば、亀には前に向かう理由となる原点があったが、兎にはそれが無かったとも言えるのではないでしょうか。

続きを読む

其の五十五 指導者には、指導者の幸福観が必要

《徒然草:第百四十二段》其の三
「さて、どのようにして人々に恵を与えたらよいかというと、上に立つ者が驕(おご)って費やすのを止め、人々を撫で労(いたわ)り、農業を勧めたならば、下々に利益が生まれることに疑いはあるまい。

衣食が普通に得られていながら、さらに間違いを犯すような人をこそ、本当の盗人と呼ぶべきである。」

続きを読む

其の五十四 悪や間違いのみを取り締まったところで、根本的な解決には程遠い

では、第百四十二段・其の二の意味を掘り下げていきましょう。

「俗世を捨てた人」というのは、仏道修行に専念するために出家した世捨て人のことです。世間的な栄誉欲や出世欲を捨て、物欲も去り、生きていくために必要な最低限の物しか所有しません。もはや俗世のしきたりや、面倒な付き合いに縛られることはありませんから、とても身軽です。

続きを読む

其の五十二 親から受けた恩や人の苦労は、子を持つことで分かって来る…

諺(ことわざ)に「子を持って知る親の恩」とあるように、子育てを通して人の苦労や、親から受けた恩を感じられるようになることは確かです。

でも、子を欲しても授からない人がいるのですから、子を持たねば情が深まらないと決め付けてしまうのは如何なものかと思います。子が無くても愛情深い人は普通にいますし、子がいながら冷酷な人も多く存在します。それを前提に、この話を受け止めたいと思います。

続きを読む

其の五十 約束を守るコツは、約束しないところにある?!

はっきり嫌だと言えば、そこで喧嘩(けんか)になる。だから、相手への思い遣りとして遠回しに言う。それが、都に生きる人たちの知恵とのことです。

でも、筆者のような無風流な田舎者は、そういう遠回しな表現に、しばしば戸惑います。そのままストレートに受け止めて構わないのか、それとも言葉の行間を察するようにすべきなのかで迷うのです。

続きを読む

其の四十九 これ以上偉そうに振る舞うのは、不格好だからお止(よ)しなさい…

都に上ることを、上洛(じょうらく)や入洛(じゅらく)と言います。洛は、チャイナの国都の一つとして知られる洛陽(らくよう)のことです。我が国では京都が都なので、天下を目指し、その要である京都に入ることが上洛や入洛でした。

源平争乱の頃、京都には平氏や源氏の武将たちが上洛し、また幕末維新期には、薩摩や長州などの雄藩や、全国の志士たちが入洛しました。彼らは都で一時(いっとき)勢力を誇りますが、やがて去っていく運命にもありました。

続きを読む