では、第百四十二段・其の二の意味を掘り下げていきましょう。
「俗世を捨てた人」というのは、仏道修行に専念するために出家した世捨て人のことです。世間的な栄誉欲や出世欲を捨て、物欲も去り、生きていくために必要な最低限の物しか所有しません。もはや俗世のしきたりや、面倒な付き合いに縛られることはありませんから、とても身軽です。
その世捨て人からすると、家族を多く持ち、俗世の束縛に難儀し、上役に媚びを売り、力を持つ者に対して諂い、少しの事にも欲をかいてしまう俗物たちが憐れな小人に見えてしまいます。
しかし、そういう俗人に対して「無闇に非難するのは間違い」であり、彼らの立場になって見れば、全て掛け替えのない親や妻子のため、仕方無く頭を下げ、我慢して腰を折り、作り笑顔で媚び諂っているということが分かってきます。どうしようもなく苦しいから「恥を忘れて盗みも」するのだと、兼好法師は思い遣りました。
法師は政治を批判します。「そうであれば、盗人を縛り上げ、悪事を罰する」だけではいけない。それよりも「世の人々が飢えること無く、寒さに凍えることの無いよう」、しっかりした政治を行うべきだと主張したのです。
人には「一定の生業が」必要です。生業によって得られる収入があってこそ「安定した心が起き」るのですが、それが無くて窮すれば「盗みを犯すことに」なります。
政治が悪い中、天候不順によって「凍えたり飢えたりする」ことが重なれば、盗人が多く現れます。それを取り締まるだけでは、「罪人を無くすことは」不可能です。
悪政によって「人を苦しめ」ますと、本当はしたくないのに「法に違反させ」ることになるからです。それは、あまりにも「憐れむべき」無慈悲な世の中です。
何事も、原因があって結果が起こります。原因は「本」であり、結果は「末」とも言えます。原因や本を推し量らず、ただ結果と末だけを見、現象として生じた悪や間違いのみを取り締まったところで、根本的な解決には程遠いというわけです。(続く)