其の五十三 世間通であり、人間通でもあるところに兼好法師の魅力がある

人には、それぞれ境遇や立場というものがあります。片方の境遇の者が、もう一方に対して自分と比べ、蔑んだり悪く言ったりするのは、全く浅はかな態度であるということを兼好法師は指摘します。

既に世捨て人となって暮らしている人の境遇は大変身軽です。いちいち人に対して頭を下げる必要は無く、見え透いたお世辞なんて言わなくても大丈夫な立場におります。そういう人からすると、作り笑顔でぺこぺこお辞儀をしている人が、実につまらない人間に見えてしまいます。

でも、その人にはそうしなければ生きていけない理由があるはずです。世の中の人々には、それぞれ自分が背負っている役割や責任というものがあり、そこから逃げるわけにはいかないのです。それで、媚びたり諂ったりすることにもなるのだと。そういう人の世の辛さを、法師は見逃しません。

まさに世間通であり、人間通でもあるところに兼好法師の魅力と愛情があり、そこから徒然草の面白さが醸し出されて来るのでしょう。

《徒然草:第百四十二段》其の二
「俗世を捨てた人は、万事につけて無一物だ。そういう者が、いろいろ束縛となる家族を多く持つ者の、万事に媚(こ)び諂(へつら)っては欲深な様子を見て、無闇(むやみ)に非難するのは間違いだ。その人の気持ちになって思えば、本当に愛しい親や妻子のため、恥を忘れて盗みもしかねないことが分かるだろう。

そうであれば、盗人を縛り上げ、悪事を罰するよりも、世の人々が飢えること無く、寒さに凍えることの無いよう、世の中を治めたいものだ。人に一定の生業が無いと、安定した心が起きない。人は窮して盗みを犯すことになるものだ。

世が治まらず、人々が凍えたり飢えたりするようでは、罪人を無くすことは出来ない。人を苦しめ、法に違反させ、それを罰するというのは、実に憐れむべきことである。」

※原文のキーワード
無一物…「するすみ(匹如身)なる」、束縛となる家族…「ほだし」、無闇に…「むげ(無下)に」、非難する…「思ひくたす」、間違い…「僻事(ひがごと)」、愛しい…「悲しからむ」、縛り上げ…「いましめ」、悪事…「僻事」、治めたい…「行はまほしき」、一定の生業…「恒の産」、安定した心…「恒の心」、凍えたり飢えたり…「凍餒(とうたい)」、罪人…「科の者」、憐れむべきこと…「不便(ふびん)のわざ」(続く)