都に上ることを、上洛(じょうらく)や入洛(じゅらく)と言います。洛は、チャイナの国都の一つとして知られる洛陽(らくよう)のことです。我が国では京都が都なので、天下を目指し、その要である京都に入ることが上洛や入洛でした。
源平争乱の頃、京都には平氏や源氏の武将たちが上洛し、また幕末維新期には、薩摩や長州などの雄藩や、全国の志士たちが入洛しました。彼らは都で一時(いっとき)勢力を誇りますが、やがて去っていく運命にもありました。
そういう儚(はかな)い運命を背負った者たちを見てきた京都人は、一時の覇権というものがいかに脆いものかを知り、今現在有力者であるからといって、それがいつまで続くか分からないという醒めた目で、よそ者を眺めるようになったのだそうです。
そして、相手に対して本音をストレートに言わないという、他人に対する知恵を身に付けたとのこと。
よく聞く京都伝説である「ぶぶ漬けでもどうどす?」という言葉が、それを象徴しています。ぶぶ漬けはお茶漬けのことで、それを食べませんかというお誘いは、実は「そろそろお帰りください」というメッセージなのです。
ストレートに帰れと言ったら失礼なので、「食事でも如何ですか」という言い方で、「時間も随分経ったので、もうお帰り時であることにお気付きくださいね」と伝えているわけです。
この「ぶぶ漬けでも…」という言葉は、実際に「言った」とか「言われた」とかいう話は(今のところ)聞いたことがありません。でも、そういう伝説がまことしやかに伝えられる背後に、都の人の細やかな心情が潜んでいると思うのです。
例えば、相手の自慢話を持ち上げるのは、誉めているというよりも、あなたよりもずっと偉い方々が集まるこの場で、これ以上偉そうに振る舞うのは不格好だからお止(よ)しなさいというメッセージであり、ぷんぷん匂う香水を称えるのは、美味しい料理を台無しにするような臭いは避けて貰いたいという心配りであるのだそうです。(続く)