兼好法師は人間観察がとても好きで、外見と中身の違いに注目しました。人間は、なかなか見た目では分かり難いもので、優しそうに見える者が極めて冷淡であったり、恐ろしそうな外見の者が意外にも優しい人であったりします。
一見恐そうな者が、本当は慈しみの心を持っている。その場合、何かしら原因があるに違いない。そう思うところから人間観察が始まります。その原因の一つに、子を持つことによる慈悲心の芽生えがあるとのこと。
子を持ちますと、親はその子を生かそうとして執念を発揮します。その例と言える、「幽霊子育飴」(みなとや子育飴本舗)という京都名物をご存じでしょうか。飽きの来ない素朴な味わいの飴で、その「由来」に次のように書かれています。
慶長4年(1599)、ある男が妻を亡くして葬った。数日を経て、土中から幼児の泣き声が聞こえるというので掘り返してみた。それは、亡き妻が生んだ男児であった。その頃、夜な夜な飴を買いに来る婦人がいたが、幼児を掘り出してからは来なくなった。その子は8歳で出家し、とうとう高名な僧となる。いつしか、その飴は幽霊子育ての飴と唱えられるようになり、京都の名物となった。
母親は執念によって出産し、幽霊のまま飴を手に入れ、我が子に嘗めさせたというわけです。
では、荒々しい関東の武者が、子を持つことによって情に深い人となったという話に入ります。これは、前段(第百四十一段)の続編とも言えます。
《徒然草:第百四十二段》其の一
「心無いと見える者でも、良い一言は言うものだ。ある関東の荒武者で恐ろしげな男が、傍らの仲間に向かって「お子はいらっしゃるか」と問い掛けた。
問われた者が「一人もおりません」と答えたところ、「それでは人情をご存じあるまい。冷たいお心でいらっしゃることだろうと(思うと)大変恐ろしい。子がいるからこそ、いろいろな情が心の底から分かって来るものだ」と言っていたのは、いかにもその通りに違いないことである。
恩愛の道でなくて、そのような荒武者の心に慈悲があり得ようか。孝養の心が無い者でも、子を持てば親の気持ちが心の底から分かって来るものである。」
※原文のキーワード
関東の荒武者…「荒夷(あらえびす)」、傍らの仲間…「かたへ」、いらっしゃるか…「おはすや」、それでは…「さては」、人情…「もののあはれ」、冷たい…「情けなき」、いらっしゃることだろう…「ものし給ふらん」、子がいるからこそ…「子ゆゑにこそ」、いろいろな情…「よろづのあはれ」、心の底から分かって来るものだ…「思ひ知らるれ」、いかにもその通りに違いない…「さもありぬべき」、そのような荒武者…「かかる者」、気持ち…「志」(続く)