諺(ことわざ)に「子を持って知る親の恩」とあるように、子育てを通して人の苦労や、親から受けた恩を感じられるようになることは確かです。
でも、子を欲しても授からない人がいるのですから、子を持たねば情が深まらないと決め付けてしまうのは如何なものかと思います。子が無くても愛情深い人は普通にいますし、子がいながら冷酷な人も多く存在します。それを前提に、この話を受け止めたいと思います。
さて、関東の荒武者のことを荒夷(あらえびす)と言いました。見た目はとても恐ろしげで、優しい心情なんて持つはずが無いと思われる荒夷が、実は愛情深いことを知る出来事がありました。「良い一言は言うものだ」と感心する会話を、兼好法師が耳にしたのです。
ある荒夷が、傍らにいた同僚に「お子はいらっしゃるか」と問い掛けました。すると、同僚は「一人もおりません」と答えます。
そこで、荒夷は言いました。子がいないあなたは、まだ人の情というものをご存じないでしょう。あなたが冷淡な心でいらっしゃるであろうことは、とても恐ろしいことです。世間の人々は、子を持つことでいろいろな情が深く湧いて来るものですよ。
これを聞いた兼好法師は、「いかにもその通りに違いないことである」と感心します。
親子の恩愛、即ち親から受けた恩や、子供に注ぐ愛。これら経ないまま、この強面(こわもて)な荒武者に慈悲の心が生ずるはずはあるまい。もともと孝養の心が無い者であっても、子を持てば親から受けた恩を思い起こし、子を育てることで人への情が養われて来るものであると。
慈悲ですが、「慈」は人に喜びを与えること、「悲」は人の悲しみを取って差し上げることを意味しています。
もしかしたらこの同僚は、普段から周囲に冷たい雰囲気を醸し出していたのかもしれません。荒夷もそれを感じ、このまま情が薄いようではいけないと心配に思っていたところ、丁度隣り合わせになったので一言声を掛けてみたものと推測します。子の有無を問いながら、情を持つよう注意を促したという次第です。(続く)