徒然草を読んでいると、「それそれ、そういう事ってあるよね」とか、「そうそう、それを自分も言いたかった」などと、しみじみ感じさせてくれる場面に出会います。読者にそう感じさせる理由は、やはり兼好法師が持つ鋭い人間観察眼にあります。
その観察眼は、人間関係の間合いにも及びました。私たちは人との関わり合いの中で暮らしているのですが、距離が近すぎたら五月蠅(うるさ)く思われ(思い)、遠すぎたら冷たく感じられて(感じて)しまうのですから、程良い距離の取り方くらい難しいものはありません。
徒然草を読んでいると、「それそれ、そういう事ってあるよね」とか、「そうそう、それを自分も言いたかった」などと、しみじみ感じさせてくれる場面に出会います。読者にそう感じさせる理由は、やはり兼好法師が持つ鋭い人間観察眼にあります。
その観察眼は、人間関係の間合いにも及びました。私たちは人との関わり合いの中で暮らしているのですが、距離が近すぎたら五月蠅(うるさ)く思われ(思い)、遠すぎたら冷たく感じられて(感じて)しまうのですから、程良い距離の取り方くらい難しいものはありません。
人との交流において、お迎えの恭(うやうや)しさは勿論大事ですが、お見送りの丁寧さも忘れてはなりません。出会う時よりも、別れ際の態度にこそ人格が現れるわけで、そこにわざとらしくない自然な残心を込められるかどうかです。
現代においても、きちんと残心の籠もった見送りの出来る人がおります。お客様が次の角を曲がるか、通り過ぎるところまで見送ることを礼儀とするなど、ちゃんとしたお店ほど残心が出来ているものです。客としても、店の人の残心を背中に感じますから、今一度振り返ってお辞儀をすることになります。
陰暦(本暦)の「長月二十日のころ」は、年によってズレがあるものの、新暦(現在の暦)では10月下旬あたりとなります。長月は夜長月ともいわれ、まださほど寒くない中、秋の夜長に月を愛でるのに相応しい時期です。
その頃兼好法師は、「ある貴人に誘われて夜が明けるまで月見して歩くことが」ございました。すると散策の途中、「貴人に思い出される所があって、(従者に)取り次ぎをさせてから、ある家にお入りになった」のだそうです。昔はスマホも何もありませんから、伝言や依頼に従者の取り次ぎが不可欠でした。
「残心」という心得があります。相手に対し、あるいはその場に対して心を残し、いっそう完成度を高めていく。そういう、どこまでも心を込めようとする日本人らしい大事な姿勢が残心です。
残心は、単に「そこに意識を留める」という程度の事ばかりではありません。真剣な氣迫によって、精神エネルギーを向こうまで突き通すということこそ本来の残心であり、それによってトドメを刺すことにもなります。
四季の移ろいがもたらす豊かな自然は、日本人の持つ細やかな感性を育みました。季節毎の風情を味わえるところに、我が国特有の人生観や幸福感が存在したのです。その季節感は、会話において季節の挨拶から始める日常生活や、手紙において時候から書き起こす作法を生みました。俳句に必ず季語を入れることも同様です。
公家から武家へと時代の主役が移行する中、兼好法師はそれら両方の立場を繋ぎながら、自然や世の中、人間に対して鋭敏な感性を発揮しました。その豊かな観察眼を第三十一段のエピソードからご紹介し、兼好法師の細やかな人間性を味わってまいりましょう。
《徒然草:序段》 「する事もなく暇でならない。退屈な心のまま、一日中硯(すずり)に向かって心に移り行くつまらない事を、とりとめもなく書き付けてみたところ、何とも変な気持ちになってきた。端から見たら、きっと気違いじみている …
『徒然草』という随筆を知らない人はいないでしょう。作者の卜部兼好(うらべかねよし)は、鎌倉末期から南北朝時代にかけての文人です。
卜部兼好よりも吉田兼好(よしだけんこう)という名前のほうが世に知られておりますが、実は“吉田兼好”はいなかったということが明らかにされています。